あくだま日記#2_「やっぱり全然分かんねえ」

朝10時ごろに目が醒めて、昨日の伊集院光「深夜の馬鹿力」を聞きながら、radikoで歯を磨いたり洗濯物を回したりした。

僕は深夜ラジオが好きで、色々聴いているんですけど、伊集院さんのラジオは芸人さんの深夜ラジオが好きになるきっかけだった。かれこれ10年近く聴いています。今回伊集院さんは、とある出来事で深く暗く「嫌な気持ち」になっていて、それを「笑い」として昇華するのが今回のテーマだった。

乱暴に言えば「嫌な気持ちにさせられた」伊集院さん。ただし、その出来事を「自分の冠番組」で一人ひたすらしゃべる行為は、「加害者たりえる」こともある。冒頭から伊集院さんはとてもとても話しにくそうにしていた。

そして極限まで選んだ言葉で話されたエピソードには、僕は100%の同情と、嫌な気持ちの共感を覚えた。けど、それは僕が「伊集院さんの冠番組」の、伊集院「さん」って言わないと気持ちが悪いくらいのファンだからかもしれない。そうじゃない人の立場とか、そうじゃない人が聴いてどう思うかとかはあまりわからない。想像することはできるけど、共感した事実は揺らがない。深夜ラジオは「そうじゃない人」のことはある程度無視したコミュニティだったりもするし、それが好きな時点でもう伊集院さんの勝ち試合みたいなところある。そういう、「深夜ラジオで話すこと」の暴力性をわかりすぎているからこそ、伊集院さんは言葉を慎重すぎるほど選んで話していたし、どう話すかを考え続けていたし、さらには相手の事情を極限まで慮って、あらゆる想像を巡らせていた。

でもその上で、最後には「やっぱり全然わかんねえ!!」と叫んでいた。

嫌だったもんは嫌だった。傷ついたもんは傷ついた。ふざけんなって、おかしいよって思ったから、自分の場所で話さずにはいられなかった。

ああ、逃げないってこういうことだなあ、リアルってこういうことだなあ。

僕も傷つく時は、しっかりと傷つこう。いやなときは、逃げずにいやだったと思おう。

それは、多様性とか、想像力とかと、決して相反する行為じゃない。

傷ついたことを傷ついたと言う、嫌だったことを嫌だったと言う、そのこと自体がはらむ暴力性や加害性みたいなことに自覚的であればいいのです。

ここまで書いて、自分が自覚的じゃなかった出来事を思い出したりして嫌になる。けど、そんな自分が嫌なものは嫌なんだ。

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