新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 3巻第2章 魔王のことよりタイヘンなんです!③
それはヤルミラ先生の授業が終わってお昼休みに入った時のこと。
「アーシェラちゃん、それじゃあ中庭に案内してあげる」
そう言ってフランはアーシェラの手を取った。
「はい。お願いします」
と、アーシェラも嬉しそうにその手を掴んでフランについていく。
「リルちゃんもそうだったけど、フランも結構女の子にモテるのよね……」
そんな二人の背中を見てカナーンは苦笑した。
「ほら、エリナ。私たちも行くわよ」
「う、うん」
「どうしたの? よっぽどヤルミラ先生の授業が眠かった?」
「にゃはは。ちゃんと起きてたってば。……よし、行こう」
エリナは笑って席から立ちあがる。
「どこか調子が悪いの?」
「もうお腹空き過ぎちゃって」
「ふふ、エリナったら。リエーヌさんのお弁当は美味しいから、私も楽しみだわ」
「にゃはは。うんっ」
「エリナ、カナちゃん、どうしたの?」
中々ついてこない二人を心配したフランが戻ってきて教室の扉から顔を出した。
「ごめん、フラン。今行くー――ととっ」
エリナは突然よろめいて、カナーンに支えられる。
「もうエリナ。足元がふらつくほどお腹が空いたの?」
「にゃはは、ちょっとつまずいただけだよ。ありがと、カナちゃん」
と、カナーンの手からエリナは離れようとした。
だが――
「ととっ……あれ……?」
「エリナ!?」
がくんっと膝から崩れ落ちるエリナをカナーンが咄嗟に支えなおす。
「どうしたの、エリナ!?」
フランとアーシェラもびっくりして教室内に戻ってきた。
「エリナ、エリナ。……ダメ、気を失ってるみたい。それに熱もあるわ」
「そんな……どうして……」
顔を青ざめさせたフランだったが、すぐに気を取り直す。
「フラン、どうすればいい? 私、どうすれば……」
自分以上にカナーンの方がよほど取り乱していることに気がついてしまったからだ。
(こんな時こそ、パーティの回復役である私がしっかりしないと)
「カナちゃん、落ち着いて。まずはエリナを横にしてあげましょう。それから、ロミリア先生を……アーシェラちゃん――は、学院長室はまだ知らないわよね……」
「ロミリア先生なら、私が呼んで来るわ。フランはエリナを見ていてくれる?」
「ありがとう、カナちゃん。もちろん見てるわ」
エリナを教室の床に横たわらせると、カナーンはすっくと立ちあがる。
「すぐに呼んで来る」
そう言って、カナーンは疾風のようなスピードで教室を飛び出した。
「あ、あーしは……あーしにもなにか……」
「アーシェラちゃんは……そうだ。水飲み場はもうわかる? 水差しがあると思うから、お水を運んできてほしいの」
「はい! わかりました!」
「よろしくね」
そうしてアーシェラも教室を去る。
教室にいたクラスメイトたちも心配そうにその様子を見ていた。
「エリナは大丈夫だから、みんな安心して。気を失ってはいるけど、呼吸は安定してる。最近ちょっと大変なことばっかりだったから、疲労が出ただけだと思うわ」
フランは微笑んで、クラスメイトたちを宥める。
エリナは元々クラスのムードメーカー的な存在だったが、ペトラたちの態度が軟化したことによってますますそれは強まっていたのだ。
それは魔王の布告を受けたこの状況下において、クラスメイトたちの精神的柱とも呼べるほどのものだった。
こんな状況でも笑って、あるいは笑わせて、明るい雰囲気をもたらしてくれるエリナ。
そのエリナが突如として倒れてしまったことに、クラスメイトたちが不安を覚えるのも無理はない。
彼ら彼女らは、まだ十二~十三歳の子供なのだから。
「お、お水! お水持ってきました!」
水差しを両手で支え持って、アーシェラがトテトテと教室に走りこんでくる。
「アーシェラちゃん、ありがとう。慌てなくていいから、お水、零さないようにね?」
「は、はいっ」
フランに言われて気がついた様に、アーシェラはそおっと水差しを渡してきた。
それを受けとったフランは、すぐにエリナに飲ませるようなことはせずに、水差しを脇に置く。
「すぐにロミリア先生が来てくれるわ。お水を飲ませていいかどうかは、先生の判断に任せましょう」
アーシェラはなるほどとばかりにコクコクと首を縦に振った。
するとフランの言葉どおり、すぐに廊下から走ってくる足音が聞こえてきた。
「エリナの様子はどう?」
教室に入ってくるなりロミリアはすぐにフランを見つけて問いかける。
その後ろからカナーンもやってきた。
人一倍体力はあるはずのカナーンだったが、肩で息をしている。
それだけ急いだというよりは、それだけ焦りがあったのだろう。
「気を失ってはいるみたいですけど、呼吸は落ち着いているみたいです。ただ、時折苦しそうに眉を顰めていて……」
「わかったわ。後は私に任せてちょうだい。そうだ。お水を用意してきてほしいのだけど」
「お水ならアーシェラちゃんが水差しに持ってきてくれました」
「そう。さすが大賢者様のお弟子さんね。助かるわ」
「えとえと、あーしは――」
フランの指示だと弁明しようとしたアーシェラだったが、そのフランが口元に人差し指を当てたので黙るしかなくなってしまった。
「熱は……少し高めね。高熱というほどではないみたい。……水差しを」
「はい、ロミリア先生」
フランから水差しを受けとって、そっとエリナの口元に宛がう。
そしてゆっくりとそれを傾けて、エリナの口に水を少しずつ流しこんだ。
「んはっ……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「エリナ……!」
思わず呼びかけてしまうカナーン。
「落ち着いて。水を少し飲んだだけよ。まだ気を失っているわ。医務室に運ぶから手伝ってもらえるかしら」
「あ、はい。そういうことなら私が」
「ええ、お願いするわ、カナーン。フランとアーシェラもついてきて」
「もちろんです!」
「は、はいっ」
フランとアーシェラは同時に答える。
「エリナのことは心配しなくて良いから、みんなはちゃんとお昼休みのうちに昼食を済ませて、午後の授業に備えてちょうだい。いいわね?」
「はい」
そして、エリナのクラスメイトたちもロミリアの指示に返事をした。
「ロミリア先生、エリナは大丈夫なんですか!?」
医務室に着くなり、先ほどまではクラスメイトたちを大丈夫だといって宥めていたはずのフランが堰を切ったようにロミリアに尋ねた。
「大丈夫よ。落ち着いてフラン」
エリナをベッドに寝かせ、ロミリアはその金髪の頭を優しく撫でる。
エリナも落ち着いてきたようで、時折見せていた苦悶の表情もなくなっていった。
「魔力の暴走が見られるわ。恐らくは、ジャニュアリーを使った影響でしょうね。ジャニュアリーについては私はよくわからないけれど、魔神に匹敵――いえ、凌駕するほどの魔力が関わっていることは確かだから」
「そう言えば、マナちゃんとアラヤちゃんもジャニュアリーを使った後、酷く疲れたみたいにへたり込んでいて……」
フランがそう言うと、予想外の声がそれを遮る。
「『ちゃん』とか付けるなって言っただろ。気持ちわりぃ」
医務室の入り口にはそれを言ったアラヤとマナが立っていた。
「な、なんで二人が……」
驚くフランとカナーン。
「そんなことより、エリナの様子はどうなんだ?」
「どうなんですか? でしょ、アラヤ」
アラヤの不躾をマナがたしなめる。
「むぅ……どうなんですか? 先生」
「大丈夫よ。まさかあなたたちまでエリナの心配をしてくれるとは思わなかったわ」
「し、心配なんてしてねーし!」
「嘘よ。アラヤったらどうしようどうしようってオロオロして」
「それはマナだってそうだったろ!?」
「静かにして。エリナは眠っているのよ?」
二人を小声で叱りつけつつ、エリナが言っていたとおりマナもアラヤも悪い子ではないことをロミリアは確信した。
「ロミリア先生、それでエリナの魔力の暴走は治せるんですか?」
「もちろんよ、フラン。後であなたにもやり方を教えてあげるわね」
それを聞いて頷くフラン。
「だけど、魔力の暴走だけが原因だけじゃないわね。おそらく、それはきっかけになっただけで、エリナが倒れたのは他にも要因があるはずだわ」
「その、他の要因というのは」
カナーンも尋ねる。
「カナーンも落ち着きなさい。詳しいことはまだわからないわ。でも、魔力を落ち着かせたからか、今はぐっすり眠れているみたい。このままゆっくりさせてあげましょう」
そしてロミリアは皆に向かって言った。
「そろそろ午後の授業がはじまる時間だわ。あなたたちは、昼食をしっかりとってから授業に出なさい。遅刻については先生たちに私から言っておくから」
「あのっ、ここで食べてもいいですか?」
フランの言葉にロミリアは苦笑する。
「いいわ。ただし、おしゃべりは禁止ね」
「はい、ロミリア先生」
「私は、先生たちにエリナとあなたたちのことを話してくるわ。すぐに戻ってくるつもりだけれど、私が戻らなくても、食べ終わったらすぐに教室に向かうこと」
全員が頷いたのを見て、ロミリアは医務室を足早に立ち去った。
すると、一同の視線はエリナの方に集まった。
静かに寝息を立てているエリナ。
時折見せていた苦しげな表情は、ロミリアの言うとおりずいぶんなくなっていた。
ただ、完全にではない。
エリナの眉が時折顰められるのを一同は見守ることしかできなかった。
「……ジャニュアリーを使うとこうなるの?」
フランがポツリと言った。
「おしゃべりは禁止なんじゃなかったのか?」
「答えて」
アラヤの言葉にフランが滅多に見せない険しい表情で問い詰める。
「……ねーよ。魔力と集中力がすげー必要だから、その分疲れるだけだ」
「私も同じよ。この子が今倒れてるのは、なにか他の原因があると思うわ」
アラヤに続いてマナも私見を述べた。
「そう……。ごめんなさい、怒った風に言ったりして」
「……いいよ。オレも嫌な言い方した」
自分の謝罪を素直に受け止めてくれるアラヤに、フランは小さく微笑む。
やはりエリナの人を見る目は確かだ。
現にこうしてエリナを心配して様子を見に来てくれているのだ。
「さぁ、遅くなっちゃったけど、お昼ご飯にしましょう? なるべくおしゃべりなしで」
フランに促されて一同は黙って頷く。
そして静かにお弁当を広げていたが、沈黙に耐えられなくなったようにアラヤが言った。
「……こいつは騒がしい方が好きなタイプなんじゃないか?」
「アラヤ、そうは言ってもこの子は病人なのよ? 睡眠が必要なの」
「でもさぁ」
マナの窘めにアラヤは反論しようとする。
「ありがとう、アラヤ。あ、ちゃん付けが嫌だって言ってたから、アラヤって呼ばせてもらうね」
「いいぜ。でも、なんのありがとうなんだ? フラン」
お返しのつもりか、アラヤもフランを呼び捨てた。
「エリナは静かなのより賑やかな方が好きだから。それをわかっててくれて嬉しいなって思ったの」
「やっ、別にオレは――」
「でも、やっぱりおしゃべりはなるべくやめておこう? もう午後の授業ははじまってる時間だから、いくらロミリア先生が説明してても、医務室で賑やかにお昼食べてたんじゃ、通りがかった先生たちがびっくりしちゃうと思うから」
「…………わかったよ」
そう言ってアラヤは具材がたくさん挟まったサンドイッチを頬張った。
フランたちが食事を終える頃、ロミリアが戻ってきて、一同にそれぞれ教室に戻って授業を受けるよう促した。
エリナはまだ眠っていたが、ラティシアに迎えに来てもらう様、連絡を頼んだとのこと。
皆、エリナのことは心配だったが、今は授業を受けるしかないと教室に戻っていった。
そして、放課後――
フランとカナーン、そして、アーシェラの三人は出来る限りの急ぎ足で、ランドバルド邸に帰宅した。
「お帰りなさいませ、フラン様、カナーン様、アーシェラ様」
「ただいま、リエーヌさん! エリナは!?」
「エリナ様はお部屋でお休みになっていらっしゃいます。ですが、目は覚まされていて、先ほどから退屈なさっているようです。是非、顔を見せてあげてください」
「ありがとうございます!」
駆け足でエリナの部屋に向かう三人の背中を見て、リエーヌは微かな笑みを浮かべる。
「あんなにすごい子たちなのに、こうして見るとまだまだ子供ですね」
そして一つため息をついた。
「そんな中で一番子供っぽいと思っていたエリナ様が、まさか一番早く大人になるだなんて、誰も予想していなかったでしょうね」
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