魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 新章 番外編 プルムとペトラは仲よしなんです!

 街一番の商家であるプレツィター商会の一人娘ペトラには、腹心の部下とも言える二人の幼なじみがいた。
 そのうちの一人がプルムだ。
 フルネームはプルム・パロハラティ。
 最近になって魔法の才覚を発揮しはじめ、今では植物の精霊とコンタクトを交わすことができる様にまで成長している。
 ペトラやもう一人の腹心パニーラのような闘争心を燃やすタイプではなかったが、座学では常にペトラに次ぐ成績を修め、ぽっちゃりとした体型のわりには剣術や体術の授業も決して不得意な範囲ではない。
 それもそのはず。
 プルムはただペトラの幼なじみというだけではなく、プレツィター家において、ペトラと同等の教育を受けてきていた。
 プルムはペトラを敬愛し、ペトラもまたプルムを妹のようにかわいがっている。
 だが、二人の関係ははじめからそうだったわけではなかった。

「おかあさん……わたし、あのこきらいー……」

 幼い頃のプルムは嫌なことがあるとすぐに母親に抱きついて、そのふくよかな身体に顔をうずめたものだ。
 この頃のプルムはまだ五歳。
 プルムの母親は住み込みの家政婦としてプレツィター家に雇われたばかりだった。
 父親は魔王軍との戦いの折に負った傷が元でプルムがまだ二歳の頃に亡くなってしまっていた。

「おやおや、それはペトラお嬢様のことかい?」

「あのこー……いやなこといってくる……。おかあさんのこと、デブでのろまだって……」

 母親は娘の髪を優しく撫でおろしていく。

「ああ、そのことかい。それなら、あのお嬢様は直接私にも言ってきたよ」

「おかあさんはー、それでいいのー……?」

「そうだねぇ。私が太ってるのは本当のことだし、あまり機敏でもないからねぇ。それより、プルムもなにか言われたりはしてないのかい?」

「わたしのことはいいのー……」

 なにか言われたのだろうと察して、母親はプルムを抱きしめる手に少し力を込めた。

「プルムは優しい子だね……。でももしよかったら、その優しさをペトラお嬢様にも向けてあげてくれないかい?」

「……どうしてー?」

「あのお嬢様も決して悪い子なんかじゃないからさ。自分に対して正直すぎるのだろうね。自分がダメだと感じたことをその場でズバッと言っちまう。そんな子なんだと思うよ」

 幼いプルムにはその理屈はわからない。
 人を傷つけるようなことを言う人が、悪い子ではないことなんてあるのだろうか。
 そんなことを考えているプルムに、母親が唐突に言った。

「プルムは大人になったら、どういうことをしたいとか考えたことがあるかい?」

「え……?」

 子供は親の家業を継ぐか、女の子なら誰かに嫁いでその家の手伝いをするのが大半という世の中だ。
 プルムも漠然と母親の様になるのだと思っていたが、自分がなにかになりたいだとか、どういうことをしたいという具体的なことは考えたことがなかった。
 歳もまだ五歳。当たり前といえば当たり前の話である。

「ペトラお嬢様はね、『本物のお嬢様』になるのだとおっしゃっていたよ」

「本物の……お嬢様ー……?」

「プレツィター商会はこれからもっと大きくなっていく。それは、旦那様や商会の人たちはもちろん、街の人たちもそう言っていたからそうなんだろうさ。だけどペトラお嬢様はね、商会がもっと大きくなったら貴族の方々と肩を並べるようになるから、その時のために『本物のお嬢様』にならないといけないんだとおっしゃっていたんだ」

「…………?」

「ペトラお嬢様には理想がある。だから、その理想に見合わないものは自分のことでも他人のことでも気になっちまうんだよ。……わかるかい?」

 プルムは母親の身体に顔をうずめながら、首を左右に振った。

「そうだねぇ……。例えば、プルムが大好きなあまぁいケーキ。それも真っ白なクリームたっぷりのケーキを思い浮かべてごらん?」

「あまくて、まっしろなクリームたっぷりの……はぁぁ~……おなかすいてきたぁ……」

「その真っ白なケーキのすぐ近くに小バエが飛んできたら、プルムはどうする?」

「おいはらうー……かなぁ」

「まだケーキにとまったわけでもないのに、かい?」

「うんー……とまるかもしれないしー……」

 母親はまたプルムの髪を優しく撫でる。

「白いケーキがペトラお嬢様の理想、小バエはそれを穢してしまうかもしれないペトラお嬢様が気になっちまうこと……みたいな感じかねぇ。それはきっと、思うよりもずっと大変なこと。払っても払っても小バエがいなくなることはないだろうさ。だから優しいプルムには、そんなお嬢様を支えてほしいって思ったんだよ」

「ん~……ん~……。おかあさんの作ったケーキたべたい……」

 しばらくその言葉を咀嚼したプルムだったが、結局ケーキのイメージに負けてしまった。

「ふふふっ、この子ったら本当に……。どれ、ペトラお嬢様のおやつを作らなきゃいけない時間だから、プルムの分も作ってあげようかね」

「うんっ。おかあさんだいすきー」


 この一年後、プルムの母親は病床に伏せってしまうことになる。
 プレツィター家はプルムの母親を手厚く看護したが、快復の兆しは一向に見えなかった。
 この街には慈愛と癒やしの神リデルアムウァを奉じるノクトベル大聖堂があったが、その威光を以てしても全ての病人を救済できるわけではない。

「おかあさん……」

「どうしたんだい、プルム? またペトラお嬢様とパニーラちゃんになにか言われたのかい?」

「うん……。あっ、きた。おかあさん、かくしてー」

 母親の寝るベッドの陰に隠れるとノックの音が聞こえ、反応も待たずにドアが開かれた。

「しつれい。ここにプルムがきてはいないかしら」

「ごきげんよう、ペトラお嬢様。ここには誰も来てはおりませんよ」

「フン、まったくあの子ときたら、いったいどこにいったのかしら……。にげるときばかりすばしこいのだから」

「プルムがなにか粗相をしてしまいましたでしょうか?」

 幼いペトラは腕を組み憤然として言う。

「あの子にはわたくしのおさななじみとして、いろいろと学んでもらわないといけないのです。よみかき、さんじゅつはもちろん、れいぎさほうやけんじゅつ、まほうも!」

「まあまあ、プルムにそんなに色々なことを?」

「ぜんぶできるようになれとはもうしませんわ。ですが、ひととおりは学んでもらいます」

 ベッドの陰に潜みながらプルムは、なにを勝手なことを言っているんだろうと思っていた。
 ペトラが『本物のお嬢様』を目指すのは勝手だ。好きにすればいい。
 だけど、どうして自分がそれに付き合わなければいけないのか。
『本物のお嬢様の幼なじみ』に見合わないなら、自分のことなど無視していればいい。

「……あの子にはまず自信をつけてもらいたいのです。そのためにはなんでもいい、いろいろなことを学んで、なにかとくいなものを見つけてもらわないと……」

(え……?)
 その言葉に目を丸くするプルム。
 それもまたペトラの自己満足と解釈することもできるはずだったが、プルムのペトラへの印象を変える一言だった。

「あなたもあなたです。のろまにもほどがあるでしょう」

(!)
 が、それもまた、母親を侮辱する言葉で覆される。

「いつまでねているつもりですか。タリムの実をたっぷりとつかったパイ、作ってくださるというやくそくをまさかわすれたわけではありませんわよね?」

「もちろん、覚えておりますとも」

「ならばけっこうです。しつれいしましたわ。ゆっくりとやすんで一日でも早くわたくしとのやくそくをはたせるようにつとめなさい。いいですわね?」

「かしこまりました、お嬢様」

 その返事に満足げにうなずくと、ペトラは部屋を出ていった。

「……おかあさん、わたしー……おじょうさまのところにいってくる……」

「おやおや、逃げてきたんじゃなかったのかい?」

「んー……でもー……」

 プルムは言い淀んだが、顔をあげて言った。

「もうすこし……おじょうさまのことよく見てみるー」

「そうかい。やっぱり優しい子だね、おまえは。……いっておいで」

「うんー」

 そして、今度はプルムが部屋を出ていくのをその母親は見送った。

「ペトラお嬢様……どうか、プルムのことをよろしくお願いいたします……」


 プルムの母親が亡くなったのはその数日後のことだった。
 プレツィター家は身寄りのなくなったプルムをそのまま引き取り、育てることにした。
 プルムを養女として正式にプレツィター家に迎え入れる。
 だが、プルムは首を横に振った。

「プルム、私たちはおまえのことも家族の一員だと思っているんだ。それをわかってほしい」

 そんなプルムにペトラの父、パヴェル・プレツィターは大いに狼狽えた。
 プルムは元々、母親以外の大人になにかを主張したことなどない子だった。
 せいぜい食べ物のことで欲しがる素振りを見せるくらい。
 だから、まさかプルムに養女となることを拒否されるとは思ってもみなかったのだ。
 若い頃から商人として成功してきたパヴェルは、声も力強く、なにより圧迫感がある。
 それは商談においては意見を押し通す際の武器となったが、六歳の女の子にとっては正真正銘の武器そのものに他ならない。
 プルムはそんなパヴェルの前で、すっかり身をすくめてしまっていた。

「お父さま、プルムの気もちもかんがえてあげてください」

 それを救ったのはペトラだった。

「プルム、あなたのお母さまはもういません。あなたをかくまってくれる人はもういないのです」

「……っ」

「だからプルム、にげずに、はっきりとおっしゃいなさい。わたくしたちは、あなたが本当はどうしたいのかを知りたいのです」

「おじょうさま……」

 父親を窘めたばかりのペトラの言葉は、プルムの気持ちを考えたら到底出てくるはずのない厳しいものだったが、不思議とプルムの中にすんなりと入ってきた。

「わたしは……おじょうさまにはなれません……。なるつもりも……ありません……」

「プルム、それは――」

「お父さま! 今は、プルムのことばを最後まで聞いてあげてはくださいませんか?」

「……すまない。確かに私が性急だった。ここはペトラに従おう」

 パヴェルが引き下がったのを見て、ペトラは改めてプルムに続きを促す。

「だけど……おかあさんみたいにはなりたい……。それに……おかあさんに言われたことをやりたい……やってみたいって今は……思ってます……」

「それをうかがってもよろしくて?」

「それはー…………」

 プルムはペトラの顔をじっと見つめた。

「……? なんですの?」

「……いえ、それはー……おかあさんとのやくそくなのでー……」

「わかりましたわ。それについてはいいでしょう。ならばプルム、あなたはこれからどうしたいと思っているのですか?」

「もしここにおいてもらえるならー……おかあさんみたいに、お家のおてつだいをー……」

 すっかり娘として引き取るつもりでいたプレツィター夫妻は顔を見合わせる。
 家政婦の娘とは言え、六歳の少女に家事を任せるわけにはいかない。
 だが、家事の手伝いとしてならそんなに珍しいことでもなかった。

「……まったく。わたくし、プルムが本当の妹になるのかと思って、少したのしみにしていましたのに」

「おじょうさま……」

「わたくしはっ、プルムにおねえさまとよんでほしかったのですわ!」

「……も、もうしわけ――」

「あやまることはありませんわ、プルム!」

 ペトラはプルムの両の肩をガッと掴む。

「あなたは今、あなたのなりたいものをしめしたのです。あなたはわたくしが目ざすお嬢様の道をしりぞけて、あなたのお母さまとのやくそくをはたす道をえらんだのです。そこであやまるということは、わたくしが目ざす道をもぶじょくすることだと知りなさい」

「え、えっとー、あの、はい……」

 同い年のはずのペトラの言葉は難しすぎてこの時のプルムにはよく理解できなかったが、ペトラが精一杯自分を励ましてくれているということだけは伝わってきていた。
 ペトラはこれまでにもプルムに厳しい言葉を投げつけていたが、それも自分を思っての言葉だったのではないかと思わされた。
(おかあさんは、わたしのやさしさをおじょうさまに向けてくれって言ってたけど……もしかしたら、おじょうさまはずっとわたしに、おじょうさまなりのやさしさを向けてくれていたのかもしれない……)

 こうしてプルムは、家事手伝い兼ペトラの学友として、そのままプレツィター家に住むことになった。
 同じように苦手だったパニーラとも、多少の時間はかかったが打ち解けた。
 すると、パニーラも似たような理由でペトラに心酔するようになったことがわかった。
 やはりペトラはすごいのだ。
 同様の存在を得て、プルムのペトラへの忠誠心は固まっていった。

 だが、幼い頃の純粋性は純粋故にすぐに淀む。
 ペトラは実際にすごかった。
 ノクトベル聖学院ではどの教科においてもトップクラスの成績を修め、大人たちに一目置かせるための話術にも長けていた。
 その上、プレツィター商会は年々その規模を大きくし、その結果としてノクトベル全体の経済が順調に回るようになっていた。
 街中の誰もがプレツィター商会とその一人娘のペトラをもてはやしたのだ。
 ペトラはそれに気をよくして、徐々に増長しはじめた。
 元よりペトラの言うことが至上であるパニーラもそれに追随した。
 そして、プルムもまた、そんな二人と同じように振る舞うことが当たり前のようになっていた。

 スカウティアの、あの日までは。
 あの日、ペトラはジントロルという恐るべき魔物に襲われながらも、ほとんど無傷で帰還することができた。
 ジントロル率いる魔物たちはルナルラーサ・ファレスという凄腕の女剣士によって討伐されたと聞いているが、ジントロルの手からペトラを救い出したのは、それまで嘲笑の対象にしてきたエリナ・ランドバルドだった。
 そしてそのエリナは、神聖復興騎士団が『聖王の御子』と呼ばれる子供と間違えてプルムを連れ去ろうとした時、自らその身代わりを申し出て連れていかれた。
 エリナがそうしなければ、プルムが連れ去られていただけではなく、それに抵抗して大怪我を負ってしまっていたパニーラもどうなっていたのかわからない。
 その二つの出来事を経て、プルムは変わった。
 ペトラも、そして、パニーラも。
 それらの事件は命に関わる危険なものだったが、プルムはこれでよかったのだと思う。
 あの、エリナを嘲笑し、貶めるための悪戯もしていた自分たちのままだったら、死んだおかあさんだって悲しんだに違いない。
 だからプルムは、エリナには心の底から感謝をしていた。
 パニーラが嫌がりそうなのであまり表には出さないようにはしていたが、大好物のサントレーヌというケーキも食べられるようになったこともあって、むしろ好意的という心情になっていた。
 そうなってみて、はじめて気がついてしまったことがある。

「そう言えば、お嬢様ー」

「なにかしら?」

 パニーラが剣術修行に行ってしまった放課後、帰宅する途中でプルムは特に深い考えもなくそれを口にした。

「エリナの金髪ってー、結構綺麗な感じですよねー」

「なっ!? なななっ、なんっ、なんのお話っ、かしらっ!?」

 家族同然の暮らしを六年以上一緒にしてきたプルムでも見たことがないペトラの反応だ。
 マズいところに踏みこんだかもしれない。
 そう思いつつも、ここで話をやめてもおかしいし、なによりこのペトラの新鮮な反応に好奇心が湧きあがってきてしまったプルムである。

「いえー、昔よく聞いたお嬢様の『お嬢様としての理想像』の中に『美しい金髪』っていうのがあったなーって…………お嬢様ー? お顔が真っ赤なのですがー」

「そのことはもうお忘れなさい!」

「ええー、でもー……。もしかして、エリナのことが気に食わなかったのってー」

「聞こえませんわ! なにも聞こえませんわ!」

「あ、エリナー」

「ふぇっ!?」

「と思ったら、見間違えでしたー」

「プルム! あなた、わたくしを馬鹿にしてらっしゃるのかしら……?」

「い、いえー……そういうわけではー……あはは……」

 ペトラはギロリと鋭い目でプルムを睨みつける。

「それなら、なにが言いたいのか、はっきりおっしゃいなさい」

 母親が死んだ時以来だろうか。
 ペトラは本当は、いつでもプルムに言いたいことをはっきり言ってほしかったのかもしれない。
 それなのにプルムは、パニーラと一緒になって、ペトラの言うことに唯々諾々と従う家来になってしまっていた。

「……エリナたちと仲良くなれるといいですよねー」

「だっ、だから、わたくしは――」

「わたしとしてはフランのところのお菓子屋さんに行きやすくなるので、その方が助かりますー」

「プルム、あなたね……」

「あはは」

 呆れた様子のペトラに満面の笑みを返すプルム。
 そんなプルムにペトラもまた柔らかな笑みを浮かべた。

「お菓子屋さんもよろしいですけれど、プルムも自分で作ればいいのではなくて? あなたのお母さまが作ったパイも美味しかった思い出があります」

「あ、わたしは食べる方専門なのでー」

「……お母さまのようになりたいという話はどこへいってしまったのかしら?」

「わたしはおかあさんのような包容力溢れる大人の女性になりたいんですー」

 プルムはそうおどけた様子で言ったが、内心は喜びで満ちあふれていた。
 ペトラが自分と母のことを事細かに覚えていてくれることが本当に嬉しかったのだ。

「なれるわ、あなたなら。この先わたくしが躓いた時、あなたに泣きつかせてもらえるかしら」

「……もちろんです、お嬢様」

「よかったわ。さぁ、家に帰って、今日も二人で魔法の特訓をいたしましょう。わたくしたちもパニーラに負けてはいられませんからね」

「はい、お嬢様ー」


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