双極性障害

今noteを見返していたら2019年の投稿にこんな文章が書かれていた。

このまま特に何も出来ないまま、人の記憶に薄っすらとしか残らないまま、あまり人に好かれたことがないまま死ぬのは嫌なので、頑張って生きようと思います。負の感情は伝染しやすいし言霊ってものも強いと思うので死にたいとはあまり言わないようにします。死にたいって言いすぎて色んな人に呆れられて、見放されたし。私のアイデンティティって何なんだろうね、見放された人には面白みのないメンヘラって言われたよ。何も出来ないし平凡すぎるからせめて精神だけはおかしくなりかったけど、おかしくなりたいと思って行動すればするほど平凡になっていってしまった。非凡になることを諦めます。もうどうでもいいや。

5年前と何も変わっていないどころか、5年前の方がまだ健全だった。死にたいと言わないようにしようとしているし、頑張って生きようとしていた。呆れられて見放されているところは何も変わらないのに。

環境を変えて、言動を変えて、少しだけポジティブになったことを変化だと思っていた。良くなったと思っていた。

ふと、この1ヶ月で30万くらい使っていることに気づいて、絶望した。これはただの躁だ。またやらかした。
今までは、変わろうとすらしていなかったから、躁だとすぐに気づけていたけれど、今回はいつもと違うことをしていたから、気づけなかった。悔しい、悔しい、悔しい。結局全て病気だ。病気に踊らされている。元気だと思っていたものは虚像だった。

双極性障害に、元気、という概念は存在するのか。元気な時、調子のいい時は全て躁状態なのではないか。

回復したと思ったらただの躁状態でした〜!

本当に最悪だ。ずっとこれを繰り返して生きていくのだろうか、いつか本当の元気を知る日は来るのだろうか。

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