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自己紹介的わたしの人生の件

どうも、アレハンドロ・ヒデロフスキーです。
調子に乗ってnoteを18日連続更新という、誰も得しない事をしているんですが、いないと思いますけど「で、お前誰なん?」っていう方の為に、遅ればせながら自己紹介というか半生を綴ってみる。
いや、意外と知らなかったこととかあるかもしれませんしね。長~く付き合っててもあいつとプライベートな話したことないなって人もいっぱいいると思うんですよ。

1975年(昭和50年)生まれで今年49歳です。
え~、マジかよ来年50歳じゃん!って自分でもひいてます。
50って、お爺ちゃんでもおかしくないよね。
今はお休みしてるけど、50近くまでバンドやってるとか思わなかった。
でも、生き甲斐なんだよね~バンド。小学生の頃から取り憑かれてたんだ、バンドに。

生まれは東京の江戸川区。
姉、兄、自分。3姉弟の末っ子として親には放置されて育ちました。
小学3年までは団地に住んでいて、悪の巣窟みたいなとこでした。
でも、自分と同じ歳の子供はユミちゃんていう女の子ひとりしかいなくて、その子とは毎日手を繋いで帰ってましたね。
団地なので周りは不良と創価学会と共産党員しかいなくて、そんな中でもグレずにスクスクと成長しました。まぁケンカは日常茶飯事だったけど。

小3の夏休み前に転校して、同じ江戸川区内で一軒家に引っ越しました。
川一本渡っただけなのに本当に畑とビニールハウスしかない田舎って感じで、引っ越した当初はカルチャーショックだった。トイレも汲み取り式だったし。
転校初日にケンカを吹っ掛けられて、相手が弱かったから突き飛ばして一瞬で終わったけど先生を呼ばれてしまって「あんたが前の学校でしたこと、全部わかってるんだからね!」と逆に同級生がひくようなことを先生が言ったもんだから「どんだけ悪いヤツが来たんだよ」という空気になり、翌日からは誰もちょっかい出してこなくなりました。
でも、そこからはそのケンカ相手と親友になったり、楽しくやってました。

小学生の高学年になると兄の影響で色々バンドとかを聴くようになって、BOΦWYの影響で『バンドやりたいなぁ』と思うようになります。
椅子に座ってビデオを観ながら手でドラムの練習したりね。フォークギターがあったのでそれを適当に弾いてみたり。とにかくバンドへの憧れが強かった。

中学に入ると周りにそういう連中が集まってきて、中でもマッキーというヤツがギターを持ってて、更にガレージがある家に住んでた。
そこに小学生からの友だちだったANGRY YOUTHのフユトがクジ引きで当てたドラムセットを持ち込んでライブするようになった。
その時はバンドとしてじゃなくてお客として行ってた感じだったけど、そのうちバンドにも参加するようになった。
中3で初めてちゃんと組んだのがラフィンノーズのコピーバンド。ボーカルだった。初ライブが葛西にあったジャスコのスタジオライブで修学旅行の前日だった。このバンドでベースを弾いてたシヅ・ヴィシャスとは高校生になってから一緒に新宿のレコード屋を徘徊したり、EXTREME NOISE TERRORのライブに行ったりした。
ちなみに中学生の時がモテ期のピークでバレンタインに毎年告白されてたなぁ。でもシャイなので付き合うとかはなかった。

高校は都立の農業学校。食品製造を専門にした学科に推薦で入った。なので受験勉強を全くしなかった。親も進路を知らなかったくらい放任だった。
この学校が女子7:3男子だったので、なかなかしんどかった。
まずバンドをやるというか音楽すら聴いてないのが大半。パンクなんてもってのほか。だから自分がENTのライブとか行った余韻でテンション上がって机にダイブとかしても『何この奇人』みたいな冷たい目で見られて終わりだった。
勿論尖っていたので女子ともそんなに接することなく、ひたすらバンドメンバーを探す毎日。授業中に独り事で教師にツッコミを入れたりしてたらしく、そのボソッと言うひと言が面白かったと後年女子に言われた。

中学の時の友だちとバンドを組んではいたものの、なかなかこちらも活動するには至らず、高3の文化祭という最後のステージに向けてようやくバンド結成となる。そうTHE MAD CAPSULE MARKET'Sのコピーバンドだ。
ただ文化祭に出るには部活として認められなくてはならず、相変わらず尖っていたのでクソダサ軽音部に入るのは嫌だったから『現代音楽同好会』なる適当な同好会を立ち上げ、その枠で文化祭出演を勝ち取った。
ライブは盛り上がったね~。風船とか飛んで来たよ。文化祭効果でモテるかと思ったけど、ベースのハネヤンだけ歳下の彼女ができた。
それにしても暗黒の高校生活だったなぁ。

卒業後は酒造メーカーに就職。北松戸にある工場で汗水垂らして働いた。お金を貯めてバンド活動に専念する為に。
2年間ガッツリ働いてある程度お金が貯まったので、とりあえず会社を辞めて2~3ヶ月ほど読書とゲームと映画三昧。親には「大学行ったと思って4年間だけ好きにさせてくれ」と説得。この時20歳だから24歳までに結果を出さないとならなくなった。

とりあえず半分くらい来たので続きは明日!

From AleJJandro Hiderowsky

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