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ナミビアの砂漠を観てきた件

所用があり山梨まで行ってヘトヘトになりつつも、近所の映画館では今週で上映終了で時間も微妙な夕方1回になってしまっていた『ナミビアの砂漠』を新宿シネマカリテで観てきました。
シネマカリテはいわゆる駅近ミニ・シアターで、常に良質な作品を上映。それだけでなく手の込んだ展示なども展開したり、独自の特集・映画祭を開催したりととっても素敵で大好きな映画館です。
サービスデーの他にもHPには毎日使える最大300円引きのクーポンもあるので重宝させてもらってます。

さて、本題の『ナミビアの砂漠』ですが、これまたとんでもない映画でした。
このnoteでも激推ししている河合優美主演の話題作ですが、結構賛否両論で映画ファンの間でもかなり評価が割れています。
個人的にはみんながこぞって大絶賛(または大酷評)の映画より、賛否両論分かれた映画の方が良い映画の可能性が高いと思っていて、基本他人の評価や批評は作品を観るまで気にしないのですが、「おー、割れてる割れてる!観に行って確かめよう」となるタイプの人種です。
ただ大酷評の映画だって、観てみたら意外と面白かったというのは結構あるし、大絶賛されているものでも観たら全然刺さらない場合もある。映画なんて個人の好き嫌いなんで、基本的に他人の評価は参考にもならないです。
なら何故映画レビューを書くのか・・・。はい、自己満足です。あと、自分と感性が合う人を探しているってのもあります。感性が合う人との映画話、音楽話は時間を忘れるほどに楽しいです。

サイン入りポスターもあり!

おっと、また話が逸れてしまった。
この映画、まぁ観てくれないことには伝えようがないんですけど、河合優美が好きである、または気になって仕方ないという人は絶対に観て欲しい。
やっぱりねぇ、河合優美は化け物ですよ。本作は当て書き(演じる俳優に当てはめて作られたもの)なので、河合優美のポテンシャルを信じ切って『どこまで行けるんだ?』って試しているような監督と、それに答えるどころか『え?まだまだ行けますけど、早く次お願いします』みたいな、とにかく化け物じみた河合優美が観られます。

今時のどこにでもいそうな21歳の女性カナを観測する、ライブ中継的視点で特にストーリー性や盛り上がりなどはなく、ひたすら淡々と日常を追う。カナは一見エキセントリックで破天荒に見えるけれど、突飛な行動を起こすには彼女なりの理由があって、それを紐解くようなバックグランドはこの映画の中では語られない。
あくまでも定点観測、ライブ中継を観るように『その場限りの視点』でしかカナを語らない。この辺が賛否を分けている1点なのかと思います。

そう、他人なんて『わかるわけない』んですよ。観ているだけでは当然わからない。関係を持ったとて何を考えているかなんてわからない。自分の内面なんて自分ですら理解できないこともある。
それをわかった風に言われると腹も立つし、でも思いやってくれる気持ちには愛を感じたり。とにかく人間は複雑で、感情は1秒たりとも平坦ではない。砂漠の映像を見てください。普遍的なように見えても砂の一粒一粒は常に動き、時には大きく形を変える。まるで人の心のように。

とまぁ、こういう『わかったような口を利く』大人の男、つまりこれを書いている自分すらもこの映画は否定してきます。『そんなに簡単じゃねぇよ』と。「27歳の若手女性監督が急ごしらえで作った作品とは思えない!」とかいう論評は監督からすると、いや本作を観た人からすると『バカ言ってんじゃないよ』となる。もう哲学ですね。

そしてこんな非映画的な映画が、突如『超映画』化する後半。これがまた理解に苦しむ人もいるし批判的な意見も出ると思われる2点目。
個人的には「うっわ~!最高かよ!」となりましたが、「意味わらねぇ!」と怒る人の気持ちもわかります。いや、だから他人の気持ちなんてそんな簡単にわかるもんじゃないんだって。

コメディにもホラーにも、ドキュメンタリーにもファンタジーにもなる。受け手の捉え方によって形を変える。砂のような超映画。山中瑶子監督の今後には大注目です。

ちなみに劇中でカナが時々見ているナミビア砂漠のライブ中継は実際にあります。

ナミビア=ナミブ。先住民の言葉で『何もない』という意味。
このライブ中継はその『何もない』砂漠に人工の水飲み場を作って、そこに集まる動物たちなどを観測するものです。

映画は観る人によっては癒やしやデトックスの効果があると思います。この映画をどう感じるのか、自分の感性を試すリトマス試験紙と思って、是非劇場で鑑賞して貰えたらと思います。

なんだか文体が定まりませんが、それも人間的では?

From AleJJandro Hiderowsky

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