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文系の院生が役に立たないということ

日本は、大学院を修了した人間に価値を置かなさすぎる、という話をしましょう。大学院を出て、日本でつける職は研究職だけです。みたいな暗黙の了解がある。

私の知り合いが、先日、某旧帝国大学の大学院を修了し、晴れて修士号を取得された。で、意気揚々とかどうかは知らんけど、ふるさとの市役所で働くことになった。担当は、その方の専門とはおよそ無関係の部署。イヤガラセ?


この方が取得したのは修士(文学)です。ご専門も、文学だと記憶しています。社会学とか統計学とか、そういう専門ではありません。なのに、その部署。社会学とか統計学の修士の人のほうが活躍できそうです。その方が苦労して身につけた専門性が活かされる職務内容ではなさそうです。


「社会の役に立たない文学なんぞ勉強してるからだ」


そうでしょうか?


文学は、むちゃくちゃ必要です。本屋行くでしょ? 漫画、読むでしょ? 芥川賞とか直木賞とか、本屋大賞が決まったら、その本買うでしょ? あれ、全部、文学です。文学を勉強した人が書き、文学に携わっている人がたくさんいるから世の中に出て、我々がそれを楽しむことができるのです。


楽しむ方法を伝えるのも、文学を学んだ人の社会における大切な役割です。この文学はこのように読むのだ、あの作家はこういう時代を生きてきて、こういうプロットでこういうことを言っているのだ、そういうことを解説してくれる人が身近にいて、その人物にアクセスする環境を整えるのは、健全な市民社会の涵養を目指す地方自治体にとっての義務です。


学校をまわって、図書館の書籍の状況を確認する、子供たちと読書会を開く、生涯教育として小説を書く講座を開く……いかにも豊かな地域社会が想像できます。そんな素敵な街に住んでみたいです。


つまり、この方が、ご自分の専門性を活かして活躍できる場所が、地方自治体にはたくさん用意できるということです。


用意せんかい。


だから、この方は、「社会の役に立たないことを勉強した」のではなくて、「社会がこの方が活躍できる場所の創生を怠っている」ことによって、活躍する場所を失っているのです。


ところで、海外では、大学院への進学はますます盛んです。学部卒程度では、働くための十分なスキルを有していないと見なされるからです。翻って日本では、大学院は余計な頭でっかちを輩出(排出?)するところで、一番いいのは学部新卒、それも都内の有名私立か旧帝国大学の卒業生。


日本語教育の話をしましょう。

国際交流基金が全世界に日本語教師を派遣する事業を行っています。資格は大卒以上。

こちらだけが修士以上。


一方、韓国や中国も同じような事業を展開していますが、多く博士を持っている人を派遣していると、ある国で日本語を教えている人に教えてもらったことがあります。


太刀打ちできます?

日本語教師全員が修士号博士号でなければならないと言っているのではありません。悪しからず。国際的な競争力の話をしています。


大学の職員もそうです。国際部などの、対外交渉をやる部署では、アジアの多くの国で院卒を置いています。国際関係や英語学、行政などのマスターやドクターです。


結果、我々が表敬訪問すると、むちゃくちゃ流暢な英語や日本語で話しかけられ、我々が恥をかくと(これは我々教員の問題ではありますが)。


とにかくそんな時代です。院卒はエキスパートなのです。彼らの価値を見出す義務を、社会は負っていると思います。でなければ、高学歴化している諸外国に勝てないのはもちろん、もはや追いつくこともできないみたいなことになっています。


ビジネスはどうなんでしょうか、調べていないので分かりませんが、単純に考えてもMBAなどの資格があることを考えても、高度な専門知識を持った人材が活躍するのではないかと思います。


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