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プレースメントテストについて

プレースメントテストとは、weblio辞書によると、

「主に大学や塾などで行われる学生生徒学力レベル測定し適切なレベルクラス振り分けるためのテスト意味する語。クラス分けテストクラス編テストなどと呼ばれることもある。通常入学前入学直後に行われることが多い。」
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88#:~:text=%E4%B8%BB%E3%81%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%84%E5%A1%BE,%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A4%9A%E3%81%84%E3%80%82

weblio辞書より

なのだそうな。日本語教育においては、クラスに入る時点での日本語の能力を測定して、適切なクラスに入れるためのテストのことである。


この「振り分ける」「入れる」の主語は、「教育を施す側」である。

この考え方、もう古くなっている気がする。
具体的には、学生の側から入りたいクラスを指定してもらうべきだと思うのだ。

プレースメントテストは行った上で、「あなたに適切と思われるのは、このクラスです。あとはご自分で判断して、1つ上のレベルのクラスに行ってもいいし、レベルを下げるのもありでしょう」と、幅をもたせておくのはどうか。

現行のやり方は完全に、権力をもった側と、それに従う側という構図になっていて、教育機関がとる方略としては時代遅れになっていると思う。

例えば、あと1点で上のクラスに入れたという学生の場合、自分の判断で、1つ上のレベルに入って、頑張るということは、十分許されるべきである。逆に、このレベルにはギリギリ合格点プラス1点で入れられた、という場合には、そのレベルの勉強は重荷になるかもしれない。その場合には、クラスを1ランク落としてもいい。

「自分で決める」ということが重要なのだ。
不本意なクラスに「入れられた」と思うのより、能力は不足していても、本人にとってチャレンジングなクラスで苦しむ方が、モチベーションは高く維持できて、結果的には能力の涵養がスムーズになるように思う。

「そう決まっているから」、「前からうちはこの方針でやっているから」、というのは、杓子定規である。勉強するのは学生たちであるし、教室での主役はやはり学生たちである。

だとするならば、その学生が、もっとも納得できるクラス分けを行うのがよいのではないかと思う。

「そんなことをしたらクラス運営が難しくなる」という反論がありそうである。

そこをなんとかするのが、教師の腕の見せ所であり、研鑽を積んで、新しい考え方にシフトさせていくべきところなのではないかと思う。



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