椿2

 香坂輔(たすく)には、3年前から同棲している谷川悠希(ゆうき)という女性がいた。悠希は香坂より15歳年下の32歳であったが、どこか年の差を感じさせない落ち着きというのか、精神的な凪ぎのようなものを持っており、それが香坂には楽に感じられた。

 歳の差があると話が合わなくて困るでしょう?

などというのは、子供の頃に流行った歌謡曲やテレビドラマ、映画や遊びなどが違っているという程度のことであって、たとえば谷崎や漱石、源氏物語や文楽、チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、藤田嗣治や小倉遊亀を語るときには何の障壁にもならない。香坂は流行には疎かったし、流行を追いかける人間を下に見るようなところがあった。

 悠希は、流行ものも追いかけたが、文学やクラシックにも通じていた。流行りの音楽やドラマのことは、香坂といるときはつとめてしないようにした。香坂はそのことに気づかなかったし、悠希もそれはそれでいいと思っていた。悠希は、香坂が何を蔑み、何を好むかを知悉していた。それは一言で言えば、「香坂が好むものを好み、嫌うものを嫌う」ということであり、その反対のものは香坂から遠ざけられるのであった。

 悠希には香坂と結婚したいという願望があった。それは付き合い始めた29歳の頃、絶頂に達していたが、20代が終わるという焦りとない交ぜになり香坂を悩ませ、苛立たせた。

「私は子供も産みたいし、結婚もしたいのです。」
「今のままでいいんじゃないか。結婚してもしなくても、いまの関係が変わるわけではないし。」
「そういう問題ではないのです。何か揺るがない、何かがほしいのです。」
「結婚が揺るがない何かなのか? 本当に? 僕にはそう思えない。結婚したって終わることだってある。今や日本では結婚したカップルの3組に1組が離婚しているんだ。そんなことの、一体何が揺るがないというんだ?」

 悠希が結婚を話題にするたび香坂は不機嫌になった。香坂は神経質で細かいことを気にする性質で、悠希のやることに一々けちをつけてはそのたび不機嫌になった。悠希は、なぜ、この狭量な中年男を自分は好み、この人と結婚したいと願っているのか、自分でも理解できないように思うことがあった。その点において、悠希は香坂のことよりも、自分のことについての理解が不足しているようであった。自分は一体何者で、何をしたいのか。その思いは、3年経っても不思議と変わることはなかった。だが、31歳を過ぎたあたりから、どうしても結婚しなければならないという焦燥は、以前よりは下火になったようにも思えた。

 年が明ける頃、香坂は中国に3泊4日で出張に出た。帰国後彼は、いつものように風邪を引き寝込んだ。とにかく香坂は体が弱かった。中国の大気汚染は、丈夫な人間でも調子が崩れることがあるが、香坂の場合は覿面にその影響があらわれた。入国直後に鼻水が流れ始め、二日目には喉を痛め、三日目には体のだるさを訴える。それで仕事になるものかと悠希は訝ったが、香坂は不思議と仕事だけはこなして、絶不調で帰宅しては悠希の看病を強請るのだった。

 香坂の風邪はいつも鼻にきた。匂いがしなくなるのだ。そのたびに香坂はかかりつけの耳鼻科に行き治療をしてもらった。香坂がかかる耳鼻科は街中のタワーマンションの7Fに入っていた。香坂も、梅田からほど近い都心に住んでいたので、その耳鼻科には徒歩で行くことができた。その医者は西村と言った。香坂は、その医者は名医であると思っていたが、とにかく口が悪いというか、まず悲観的な診断をするのが癖だった。

「匂いがしない。それは最悪の場合、一生治りません。しかし、一週間で治します。」

一生治らないような重病が、一週間で治るものなのか? 診断される度に、香坂は腑に落ちない気分になったが、不思議なことに匂いは一週間でいつも戻った。

「医者がいいんじゃないのよ。薬が強いだけよ。そんなの飲んでたら、そのうち効かなくなるんだから。」

と、悠希は言った。

「まずは症状を抑えることが先決だろう。薬が効かなくなる頃には僕は死んでるよ。」

香坂の屁理屈はいつもこのようであった。

風邪自体は2週間ほどでよくなったようだった。しかし、体のだるさがなかなか消えないと香坂は言った。

 今回の風邪も二週間ほどでよくなった。しかし、あとに背中の痛み、次いで胃の痛みが残った。香坂はかかりつけの耳鼻科はあったが内科をもっていなかった。インターネットで調べた内科は、あまり評判が良い方ではなかった。しかし、体もだるいし、遠くへ行くのも億劫のなので、そこで看てもらうことにした。

 三宅というその医者は、患者とコミュニケーションをとることが、自分の仕事の中で最も苦手なことだということを、自認しているような態度で香坂に応じた。

「で、どうされましたか」
「中国に行きまして、それから二週間ほど風邪を引きまして、それはよくなったんですが、そのあとなんだか胃の調子が悪いんです。」
「それなら、消化器内科に行けばよかったのに。うちでは血液検査くらいしかできませんよ。どうしてほしいですか。」
「血液検査で結構です。ちょっと看てもらえませんか。」

 香坂は、三宅の態度に、なぜこのような医者がつぶれることなく続けることができるのかと内心腹を立てたが、都心で開院するということは、それだけで動けない患者がやってくるということなのだと妙に納得した。元気なときに動き回って選ぶことができる飲食店とは、その点がそもそも違っているのだ。

 血液検査の結果は、よくないものだった。香坂は国立の大学病院を紹介され、そこで精密検査を受けた。そして、余命宣告となったのだ。

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