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プチ(柴犬)の思い出

人生でペットを飼っていたのは子どもの時だけである。
柴犬だった。

弟があるとき、とにかく犬がほしいと言い出した。僕が小5くらいやったから、彼は小3くらいだった。
両親は「自分で世話できひんねんから絶対かわへん」と言っていたのだが、ある日突然、子犬の柴犬を連れて帰ってきた。父の両親の家がある舞鶴市に唯一あった百貨店「さとう」(今でもあるのかしら)でだったと記憶している。
弟は狂喜乱舞した。彼はそれなりにかわいがり、世話をした。

犬はプチと名付けられた。
フランス語でpetit, 小さいという意味からである。

なわけない。小学生がそんなことを知るわけもなく、うちの両親がそんなハイカラなことばを知っていたはずもない。

名前がないある日、プチの背中に穴が空いた。というか、一部分の毛が抜けた。ブチである。皮膚病のようだった。
クレーターのように、穴があいている。

名前を考えなければならないと焦り始めたある日、弟が言い出した。

弟「お兄ちゃん、犬の名前、英語で「かわいい」にせーへん? 英語で「かわいい」って何?」
兄「ぷ、ぷりてぃ、やな」
弟「ほな、ぷりてぃにしよう!」

ちょっと待て、弟よ。その名前、外で呼べるか?
「ぷりてぃ!! ちょっと待って! ぷりてぃ~~~~♥」
(獣医の待合で)「お待たせしました。堤ぷりてぃさん~♥」

いちいち語尾に♥が付きそうである。
というわけで、兄は猛反対した。

弟「ほな、名前何にするん? はよ名前つけたらなかわいそうや」
兄「ぶちでええんちゃう? 穴あいてるし(テキトウ)」
弟「ぶちはあかん! メスやで」(←変なところで音象徴を理解している弟)
兄「ほな、ぷちでええんちゃう? ぷりてぃ+ぶちで」

「ぶりてぃ」よりはなんぼかましであるが、いま考えるとものすごくテキトウに付いた名前である。そんなわけで、犬はその日からプチになった。

柴犬というのは、他の犬といろいろと違うらしい。「~らしい」というのは、私自身はこの犬しか知らないので、犬というのはおしなべてこんなもんだと思っていたからである。

まず愛想が悪い。そのくせ、散歩のときはめいっぱい尻尾を振り、耳をたたみ甘える。突然山で雉をくわえて帰ってくる(野生)。

ある早朝、外でプチがきゃんきゃん言うので、二階から「プチ?」「プチ??」と呼びかけると、プチが分身した。よく見ると、放し飼いになっていた近所の雄犬がプチに馬乗り(犬やのに)になっていた。パジャマで雄犬を追いかけ回して、その犬が逃げ込んだ家の早朝のインターホンを連打した。

いろいろのおもしろ思い出がよみがえる。

その中でも忘れられない出来事がある。

M君という同級生がいた。彼は某宗教の人だった。
ある日、実家にピンポーンとインターホンが鳴り、留守番をしていた私が出ると、そこには、某宗教の人が立っていた。
「あなたは神を信じますか」と、どっかで聞いたようなことを言うので、少年堤は、ちょっと議論がしてみたくなって、いろいろと批判的な議論を展開してみた(といっても、子供の屁理屈だったと思う)」。

その日、そのピンポーンさんは帰って行ったが、この出来事を、M君に伝えたらしく、次の日にM君が僕のところにやってきて、「是非話がしたい。家に遊びに行かせてほしい」と言ってきた。

今となっては、そのとき、なぜM君を家に招き入れることになったのか、覚えていない。M君とは後にも先にもそれほど親しかったわけではない。それでも、なぜかそのとき、M君は家に来たのである。他にも数人、友達がいたようにも記憶している。

M君はとにかく私を某宗教に入れようとした。なかなか執拗であったと記憶している。

このとき、プチがうんこをしたのである。

家の中で。

ぶりぶりっと。

ほっかほか。

パニックになった。

わー、きゃー、うんこ~

みたいになった。

もう、宗教どころではなくなった。
怒られるプチ。
慌てふためく私たち。

結局それで、宗教への勧誘はなくなった。

いまから思うと、プチはご主人様の苦境を救おうとしてくれたのである。
とても困っているご主人様を救い出すために、自分は何ができるか考えてくれたのである。

プチが家の中でうんこしたのは、後にも先にもこれっきりであった。

プチは僕が大学院生の時に死んだ。

それ以来、僕はペットを飼っていない。

いつか、ペットを飼うことがあるとしたら、やっぱり柴犬を飼いたいと思ってみたりもする。

【写真について】
使用させていただきました。ありがとうございます。
プチもよく、ストーブの一番ええところに陣取って、頭を動かさずに目だけで我々をじーっと見つめていました。プチのことを思い出すときは、なぜかその、無愛想な表情なのです。


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