第156講 冷戦後の合衆国とロシア連邦
156-1 ブッシュ大統領(父)と湾岸戦争
Keyword
1:ブッシュ
2:マルタ会談
3:冷戦の終結
4:第一次戦略兵器削減交渉(START I)
5:第二次戦略兵器削減交渉(START II)
6:エリツィン
7:アジア太平洋経済協力会議(APEC)
8:北米自由貿易協定(NAFTA)
9:パナマ侵攻
10:ソマリア内戦
11:多国籍軍
12:湾岸戦争
13:サダム=フセイン
14:イラクのクウェート侵攻
15:イラク戦争
16:海部俊樹
17:宮澤喜一
18:PKO協力法
19:国連平和維持活動
20:カンボジアへのPKO派遣
ブッシュ大統領
1989年(平成元)に就任した共和党の1:ブッシュ大統領は、ソ連のゴルバチョフと、ソ連解体後はロシア連邦の6:エリツィンとの協調につとめ、ソ連解体により「唯一の超大国」と呼ばれるようになって以降、「西側陣営のリーダー」から「世界のリーダー」へと合衆国の国際的地位転換をはかった。
ゴルバチョフとは、1989年2:マルタ会談を行い、「3:冷戦の終結」を宣言した。
前任レーガンから引き継いだ4:第一次戦略兵器削減交渉(START I)を1991年にゴルバチョフとの間で、続く5:第二次戦略兵器削減交渉(START II)をロシア連邦の6:エリツィン大統領との間で妥結した。*START IIは批准されず、発効しなかった。
1989年、オーストラリアのホーク首相の提案で7:アジア太平洋経済協力会議(APEC)を立ち上げ、貿易の自由化をめざした。
参加国:米・加・日・韓・ニュージーランド・豪・ASEAN
1992年、カナダ、メキシコとの三カ国間で貿易を自由化する8:北米自由貿易協定(NAFTA)が発効(1992年に調印)した。
1989年から90年にかけて9:パナマ侵攻を行って反米の立場をとるノリエガ軍事政権を打倒し、「世界の警察官」を自認し介入した湾岸戦争(1991)に勝利した(後述)。
国連の要請で介入した10:ソマリア内戦(1991-)では犠牲者が増えて世論の反発を招いた。1992年の大統領選挙落選の一因ともなり、クリントン大統領が1995年撤退した。
湾岸戦争
1991(平成3)年1月、アメリカ軍を主体とし28ヵ国の軍で構成された11:多国籍軍が、クウェート解放とイラク侵攻をめざす作戦をはじめた。これを12:湾岸戦争という。
1988年まで続いたイラン=イラク戦争で、産油国クウェートはイラクに多額の貸し付けを行った。イラクの13:サダム=フセイン大統領(任1979-2003)は、以前から隣国クウェートの領有権を主張していたが、90年8月クウェートに侵攻し、占領下に置いた(14:イラクのクウェート侵攻)。
国連安保理はこれを非難、イラクに翌91年1月15日を期限にクウェートからの撤退を求め、応じない場合は合衆国を中心とする多国籍軍によるクウェート奪回の軍事行動を認めた。
イラクは撤退期限を守らず、1月17日、多国籍軍がクウェートに侵攻し、イラクからクウェートを奪還した。これを湾岸戦争という。2月には、イラクが国連決議を受託してクウェートから撤退、湾岸戦争は多国籍軍の勝利で終わったが、イラクのフセイン政権は2003年の15:イラク戦争まで存続した。
湾岸戦争の際、日本も自衛隊の参加を要請されたが、当時の16:海部俊樹内閣は憲法9条の規定を理由にこれを拒否し、かわりに130億ドルの資金を多国籍軍に提供した。翌1992年 17:宮澤喜一内閣(任1991-1993)は1992年に18:PKO協力法を制定した。この法律では19:国連平和維持活動(PKO,Peace Keeping Operation)に限って自衛隊の海外派遣を認めた。同年、自衛隊の20:カンボジアへのPKO派遣が行われた。
156-2 クリントン大統領とブッシュ大統領(子)の時代
クリントン大統領
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230418/k10014041541000.html
1993年、民主党の1:クリントン大統領(任1993-2001)が就任した。
クリントン政権下で企業業績は回復、株価も上昇し、先進国では高い経済成長率を維持した。
1970年代に創業されたマイクロソフト社(ビル=ゲイツ)、アップル社(スティーブ=ジョブス)などの企業が2:情報技術革命(IT革命)を先導し、1990年代グーグル社やアマゾン社がなど多くのIT企業が創業された。
クリントン任期中に「3:双子の赤字」と呼ばれた連邦政府の貿易・財政赤字は解消され、黒字に転じた。
1995年には、GATTを受け継いで、世界の自由貿易体制構築をはかる4:世界貿易機関(WTO、 World Trade Organization)が設立された。*米中心だったが、2001年中国が加盟した。
1986年から94年まで続けられたGATT参加国による多国間貿易交渉5:GATTウルグアイ=ラウンドで、世界貿易機関の設立が決定された。
サービスや6:知的財産権も含めた貿易の国際ルールを設定した。
好景気と繁栄をもたらした大統領は高い支持率を維持し、ホワイトハウスを舞台とした女性スキャンダルで弾劾されたものの、2001年まで任期をまっとうした。
対外政策
国連と連携しつつ世界各地の紛争に介入し、民主化に抵抗する勢力に対して武力行使を辞さなかった一方、国内世論の制約により、「世界の警察官」としての役割を放棄する場面もあった。
クリントンは前任ブッシュから中東和平会議を引き継ぎ、中東問題の解決に取り組んだ。1993年ワシントンでクリントンの仲介のもとイスラエルの7:ラビン首相とPLOの8:アラファト議長が相互承認をしパレスチナ自治を認める9:パレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)に調印した。
これは、仲介したノルウェーの首都オスロでの協議を経て妥結し(オスロ合意)、最終的にクリントン大統領の仲介で調印した(パレスチナ暫定自治協定)ものである。実際に交渉をまとめたのはクリントンではなく、ノルウェーのホルスト外相である。
1990年から93年まで続いた10:ルワンダ内戦が終結すると、介入に消極的な世論に配慮して米軍を撤退させるなどした。米軍撤退は1994年の11:ルワンダ虐殺とよばれるジェノサイドを招いた。
1992年から続いた12:ボスニア内戦 (後述)を調停し、1995年オハイオ州でデイトン合意を結んだ。
二期目には、積極的な外交政策に転じ、ユーゴスラビアで続いた 13:コソヴォ紛争 (1996-99)に介入し、1999年 14:NATO軍によるセルビア空爆にふみきった。
ブッシュ大統領
2000年の大統領選挙では、共和党の15:ブッシュ(子)がクリントン政権で副大統領をつとめた民主党のアル=ゴアを破って当選し、2001年1月大統領(任2001-2009)に就任した。
共和党のレーガン・ブッシュ(父)政権を受け継ぎ、行政サービスの民間移管で「小さな政府」をめざし、対外強硬路線をとる16:新保守主義の立場をとった。*批判的な立場から「ネオコン」と揶揄された。
ブッシュは、京都議定書離脱やイラク戦争など、国際機関などの了解を得ずに一方的な対外政策をとる17:単独行動主義の立場をとった。この立場は共和党のトランプ大統領(2017~)に受け継がれた。
2001年9月11日、サウジアラビア出身のイスラーム原理主義指導者18:ビン=ラーディンが率いるイスラーム武装組織19:アル=カーイダが、ハイジャックした大型旅客機航で、ニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンの国防総省を攻撃した。これを20:同時多発テロ事件という。
ブッシュ大統領は21:「対テロ宣言」(War against terrorism)を発表し、ビン=ラーディンを保護下におきアフガニスタンで政権を握るイスラーム組織22:ターリバーンに彼の身柄引き渡しを要求、拒否されると同年10月、23:アフガニスタン攻撃を行いターリバーン政権を崩壊させた。
アフガニスタンでは2004年に新憲法が制定されて大統領選挙が実施され、民主国家樹立がめざされた。最大の民族パシュトゥーン人の24:カルザイが大統領に選出されたが、部族間の対立が続いた。
2003年、合衆国は国連安保理決議のないまま、有志連合を率い、大量破壊兵器を隠し持つとされたイラクに侵攻し25:フセイン政権を崩壊させた。 これを26:イラク戦争という。2004年暫定自治政府に統治が移管され、2006年、サダム=フセインの処刑が行われた。日本は27:イラク復興支援特別措置法を制定し、陸上自衛隊をイラクに派遣した。 国連PKOではない初の28:自衛隊の海外派遣となった。
156-3 ロシア連邦の台頭
Keyword
1:エリツィン
2:チェチェン紛争
3:チェチェン=イングーシ自治共和国
4:プーチン
5:メドヴェージェフ
6:クリミア半島併合
7:ウクライナ戦争
エリツィン大統領とチェチェン紛争
1991年ソ連解体にともなて独立したロシア連邦は、国連安全保障理事会常任理事国(五大国)の地位や国内の核兵器・宇宙技術を継承し、ソ連の継承国家となったが、内部に20以上の共和国をもち、複宗教対立や民族対立を抱えていた。*ソ連の「マトリョーシカ」論。
初代大統領1:エリツィン(任1991~99)は、市場経済への移行をすすめ、資本主義諸国との連携を強めて先進国首脳会議にも参加するようになった。1998年G7にロシアを加えてG8となった。
北カフカスのイスラーム系チェチェン共和国がロシアからの独立を求めると、1994年軍事介入に踏み切った(2:チェチェン紛争)。
ソ連時代に自治共和国だった3:チェチェン=イングーシ自治共和国は、ソ連崩壊後、1992年にチェチェンとイングーシに分かれ、チェチェンではロシアからの独立をめざす武力紛争やテロがおこった。
ロシアは1994年と1999年軍事介入に踏み切りチェチェン都グロズヌイが陥落した。
プーチン大統領
2000年就任した4プーチン大統領は、元ソ連国家保安委員会(KGB)将校で、強い国家の確立と市場経済改革を掲げた。
再燃したチェチェンの独立運動に強硬姿勢でのぞみ、2009年には独立派を一掃した。
2008年5:メドヴェージェフ大統領のもとで首相をつとめ、2012年大統領職に返り咲いた。
2014年ソチ冬季五輪の後、住民投票を経てウクライナ領だった6:クリミア半島を併合したが、合衆国オバマ大統領やドイツのメルケル首相から非難され、G8の参加資格を停止された。G8はG7に戻った。
2023年、旧ソ連の隣国ウクライナに侵攻し、7:ウクライナ戦争を始めた。
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