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デタントについて


セカコ
:授業で「デタント」という言葉が出てきました。「デタント」について、もう少し詳しく説明していただけますか。

先生:「デタント」は、1960年代後半から1980年代初頭にかけての冷戦期に、特に米ソ間で見られた緊張緩和の期間を指します。この時期は、特に1969年から1979年にかけて、国際関係における重要な進展がありました。

セカコ:なぜこの時期に緊張緩和が必要だったのですか?

先生:いくつかの要因があります。まず、冷戦の緊張が高まっていました。特に、1962年のキューバミサイル危機は、核戦争のリスクを世界に示しました。また、アメリカ国内ではベトナム戦争に対する反戦運動が高まり、政府に対する圧力が増していました。特に 1968年は、世界中で民衆運動が高揚しました。さらに、米ソ両国は経済的な負担が重く、軍縮への関心が高まっていたんです。

セカコ:さまざまな要因が挙げられるのですね。

先生:そうです。そんな折に成立した1969年に成立した合衆国のニクソン政権は、ヘンリー=キッシンジャーが描いた青写真に基づいて、国際秩序を二極化から多極化への転換を試みました。この動きが、東西冷戦の緊張緩和となって面に現れたものが「デタント」です。

セカコ:デタントの過程はどのようなものだったのですか?

先生:1970年代初頭から、米ソは積極的な対話と交渉を開始しました。1972年には、戦略兵器制限交渉(SALT I)が締結され、核兵器の制限に成功しました。1975年のヘルシンキ宣言では、東西欧州諸国と米ソを含む35カ国が国際協力と人権の尊重を促進することに合意しました。しかし、1979年のSALT II協定は、ソ連のアフガニスタン侵攻により、批准されませんでした。

セカコ:デタントの期間は、1969年のニクソン政権成立から、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻までということですね。デタントはどのような成果をもたらしたのでしょうか?

先生:デタントは、核兵器の制限だけでなく、国際関係の安定にも貢献しました。例えば、1972年にニクソン大統領の中国訪問は、米中関係の改善につながりました。また、東西ドイツ間の関係も改善し、冷戦期の緊張緩和に大きく貢献したのです。

セカコ:80年代には、デタントの流れは続かなかったのでしょうか。

セカイシシ:1980年代初頭には、「新冷戦」と呼ばれた米ソ関係の再緊張により、デタントの影響力は減少した。しかし、1985年にソ連のゴルバチョフ政権が成立すると、今度は冷戦そのものの終結に向かうことになる。デタントはその下地を作ったという見方もできるじゃろうな。

セカコ:「デタント」についてよくわかりました。ありがとうございました。

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