146-1 ヨーロッパ統合の模索
セカコ: 先生、ヨーロッパ統合のはじまりについて教えてください。冷戦時代、どのような動きがあったのですか?
先生: ヨーロッパ統合の動きは、冷戦構造の中で西側陣営において始まりました。特に注目すべきは、クーデンホーヴェ=カレルギーの「パン=ヨーロッパ」構想です。彼はオーストリア人の外交官で日本人の母を持ち、ヨーロッパの統合を目指しましたが、当初は現実離れした夢物語と見なされていました。
セカコ: 戦後のヨーロッパの経済復興にはどのような動きがありましたか?
先生: 戦後、西欧諸国はマーシャル=プランを受け入れ、1947年にヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を設立しました。また、1948年のチェコスロヴァキア=クーデターを受けて、西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)が締結されました。これらは後にOECDやNATOに発展し、西側諸国の連帯を強めました。
セカコ: ヨーロッパ共同体の成立についてもっと知りたいです。
先生: ヨーロッパ共同体の成立は大きな転換点でした。1970年ごろまでの高い経済成長を遂げた西欧は、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立によって、経済の相互協力や統一市場の形成を進めました。これは1950年、フランスのシューマン外相が提案したシューマン=プランによるもので、フランスと西ドイツの間で石炭・鉄鋼を共同管理することでした。この共同体は、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、ネーデルラントのオリジナルシックスによって構成されました。
セカコ: ヨーロッパ共同体はどのように拡大していったのですか?
先生: ECは、時間をかけて加盟国を増やし、1980年代には12カ国体制となりました。1973年にはブリテン、アイルランド、デンマークが加盟し、1981年にはギリシア、1986年にはスペインとポルトガルが加わりました。ブリテンは2020年に脱退しましたが、この拡大はヨーロッパの統合における重要なステップでした。
セカコ: ヨーロッパ統合の歴史は、冷戦下の政治状況に大きく影響されたのですね。
先生: これはヨーロッパの歴史、特に冷戦時代の政治的ダイナミクスを理解する上で非常に重要な部分です。ヨーロッパ統合は、単に経済的な利益を超え、政治的安定と平和を実現するための重要な手段として進められました。東西ドイツの分裂や朝鮮戦争の勃発は、東西陣営の対立を固定化し、西ドイツとフランスの関係強化の動きを促しました。この経緯は、後のヨーロッパ統合の基盤を形成する上で決定的な役割を果たしました。
セカコ: なるほど、冷戦の政治的緊張がヨーロッパ諸国を結束させたのですね。
先生: 正確にはそうです。ヨーロッパ諸国は、共通の脅威に対処し、相互依存を深めることで、より安定した政治的・経済的環境を築くことを目指しました。1957年のローマ条約の締結や1958年のヨーロッパ経済共同体(EEC)とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)の設立は、このプロセスの重要なマイルストーンでした。
セカコ: ド=ゴール大統領の役割はどうだったのですか?
先生: フランスのド=ゴール大統領は、1967年にECSC、EEC、EURATOMを統合し、ヨーロッパ共同体(EC)を形成することで、ヨーロッパ統合のプロセスに大きな影響を与えました。1990年のドイツ統合まで、ECはフランス中心の組織でした。
セカコ: ヨーロッパ統合の歴史は本当に複雑で、多くの政治的な要素が絡み合っているのですね。
先生: まさにその通りです。ヨーロッパ統合の歴史を学ぶことは、現代のヨーロッパ連合(EU)を理解する上で不可欠です。冷戦の影響、国際関係の変化、そして個々の国の政治的な意志が、ヨーロッパの現在の形を作り上げたのです。
*ヨーロッパ連合(EU)への加盟は、時間をかけて拡大してきました。以下は加盟国を加盟年順に並べた一覧です:
1958年(ヨーロッパ経済共同体(EEC)の設立時)
フランス
イタリア
西ドイツ(現ドイツ)
ベルギー
ルクセンブルク
ネーデルラント(オランダ)
1973年
アイルランド
イギリス(2020年に脱退)
デンマーク
1981年
ギリシャ
1986年
ポルトガル
スペイン
1995年
オーストリア
フィンランド
スウェーデン
2004年
エストニア
ラトビア
リトアニア
スロベニア
キプロス
マルタ
ハンガリー
ポーランド
チェコ
スロバキア
2007年
ブルガリア
ルーマニア
2013年
クロアチア
これがEUの拡大の歴史を示す一覧です。加盟国は時代に応じて増え続け、多様な文化や経済を持つ国々が結束しています。
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