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147-3 ケネディ暗殺とジョンソン政権

先生: 今回は1960年代のアメリカの歴史についてお話ししましょう。特に、ケネディ暗殺後のジョンソン政権に焦点を当てて行きます。

セカコ: はい、よろしくお願いします。ケネディが暗殺されたのは、1963年ですよね。その後、副大統領だったジョンソンが、大統領職を引き継ぎました。

先生: ケネディは内政と対外問題に積極的に取り組んでいましたが、1963年10月に暗殺されてしまいました。暗殺前の彼の政策の中で特筆すべきは、部分的核実験停止条約の調印です。これは地下実験を除く大気圏内外と水中の核実験を禁止するものでした。

セカコ: 核実験の禁止は大きな進展ですね。他にどのような政策があったのですか?

先生: ケネディはGATT(関税と貿易に関する一般協定)の交渉を進め、ケネディ=ラウンドと呼ばれる自由貿易体制の充実に成果を上げました。また、公民権法制定を求めるワシントン大行進が行われ、キング牧師が「I have a dream」演説を行ったのもこの時期です。

セカコ: ジョンソン政権では、ケネディの政策をどのように引き継いだのですか?

先生: ケネディ暗殺後、ジョンソンが大統領に就任し、「貧困との戦い」を掲げ、「公民権法」を成立させました。さらに、「偉大な社会」計画を提唱し、貧困の解消や人種差別の廃止を目指しましたが、ヴェトナム問題でこれらの施策は頓挫しました。

セカコ: ヴェトナム戦争はどのように展開したのですか?

先生: ヴェトナム戦争は、ゴ=ディン=ジェム政権の支援や南ヴェトナム解放戦線への軍事作戦の援助から始まりました。特に重要なのがトンキン湾事件で、これを口実に北ヴェトナム爆撃に踏み切り、戦争に本格的に介入しました。

セカコ: 戦争はどのように終結したのですか?

先生: 戦況は好転せず、テト攻勢で不利であることが明らかになりました。1968年にはヴェトナム和平会談が開始され、ニクソン大統領の下でヴェトナム和平協定が締結されました。この戦争の長期化により、アメリカは財政赤字と貿易赤字の増大という問題に直面しました。

セカコ: なるほど、ジョンソン政権は多くの困難に直面したのですね。

先生: その通りです。

セカコ: 「貧困との戦い」を掲げ、「公民権法」を成立させ、「偉大な社会」計画を提唱したのに、ヴェトナム戦争に足元を救われてしまったのは残念ですね。

先生: 私もそう思います。


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