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世界史探究#030 東南アジア:中国文明とインド文明の影響から生まれた文化

先生:今日は東南アジアの歴史と文化について学びます。

セカコ:東南アジアの風土は、他のアジア諸国や日本とどう異なるのでしょうか?

先生:東南アジアは、インドシナ半島を中心とした大陸部と、マレー半島から現在のインドネシアやフィリピンを含む島々からなる諸島部で構成されています。大陸部では北部の山地から流れる長大な河川が平原に至り、デルタを形成しています。ここには様々な言語を話す人々が分布しているのです。

セカコ:諸島部はどうなっているのですか?

先生:諸島部では、高地からの河川が平地を流れ、これらの河川と海が交通の要となり、主にマレー系の諸言語を話す多くの民族が移動を繰り返しています。気候的には、いずれの地域も気温が高いですが、熱帯雨林気候サバナ気候に分けられる特性があります。

セカコ:東南アジアと外の世界との関係はどのように形成されたのですか?

先生:東南アジアは、資源の豊かさから、古くは南アジアや中国とのつながりを持っていました。次第にイスラームの影響も受けて、独自の文明を築いてきました。特に海上交易の拡大とともに、多くの港市国家が誕生。15世紀には、マラッカで交易が活発になり、16世紀に西欧勢力が進出しました。19世紀以降は、中国南部や南インドからの移民が増加し、これにより今日の東南アジアが形成されました。

セカコ:先生、東南アジアは南アジアや中国とどういう関係にあったのでしょうか?

先生:東南アジアと南アジア・中国との関係は非常に深いものがあります。前2000年紀末には、ベトナムやタイ東北部で青銅器が製作されていました。そして、前4世紀に、中国の影響を受けてドンソン文化が発展しました。

セカコ:それは、交易の結果でしょうか?

先生:はい、紀元前後に南アジアや中国との交流が増加し、特に1世紀末には扶南という国がメコン川下流域に建国されました。オケオの遺跡からは、多様な交易品が発見されています。また、2世紀末にはチャム人がベトナム中部にチャンパーという国を建国しました。4世紀末から5世紀にかけて南アジアからの船舶が増え、「インド化」という変化が起こりました。6世紀には、クメール人がメコン川中流域にカンボジアを建国し、この王国は、9世紀にアンコールを都として、12世紀にはアンコール=ワットを建設しました。

セカコ:「インド化」とは何でしょうか?

先生:「インド化」とは、ヒンドゥー教や大乗仏教、王権概念、インド神話、サンスクリット語、インド式建築様式などが東南アジアの文化に取り入れられた現象を指します。メコン川下流域と並んで、エーヤワディー(イラワディ)川下流域、チャオプラヤ川も、「インド化」が進んだ地域の一つです。

セカコ: 「エーヤワディー(イラワディ)川下流域について教えてください。」

先生: 「エーヤワディー(イラワディ)川下流域には、9世紀までビルマ(ミャンマー)系のピュー人の国が存在していました。11世紀には、この川の中央平原における稲作を基盤とするパガン朝が成立しました。この時代、パガン朝はインドやセイロン島とも交流をもち、上座部仏教が広がりました。」

セカコ: 「タイのチャオプラヤ川についてもお願いします。」

先生: 「その地域では、7世紀から11世紀頃にかけて、モン人によるドヴァーラヴァティー王国が繁栄しました。さらに、13世紀半ばには、スコータイ朝が成立。これらの国家も上座部仏教を信仰しました。」

セカコ: 「諸島部についてはどうでしたか?」

先生: 「諸島部でも、「インド化」が進み、多くの王国が成立しました。特に、7世紀半ばにシュリーヴィジャヤがスマトラ島のパレンバンを中心に成立。この王国は海上交易に非常に積極的で、中国の唐にも朝貢使節を派遣しました。」

セカコ: 「義浄もその地を訪れました。」

先生: 「義浄は南アジアへの往復の途中でシュリーヴィジャヤのパレンバンに滞在し、仏教の繁栄を記録しました。さらに、その後、三仏斉がシュリーヴィジャヤの後を継ぎ、繁栄しました。」

セカコ: 「ジャワ島にも大きな影響があったのですか?」

先生: 「はい、中部ジャワでは、シャイレンドラ朝マタラム朝が成立。特にシャイレンドラ朝下で、壮大な仏教寺院ボロブドゥールが建造されました。」

セカコ: 「最後にベトナムの歴史について教えてください。」

先生: 「ベトナムでは、前漢時代から紅河デルタを中心とする北部が中国に服属していましたが、10世紀末に北宋に独立を認めさせた後、李氏李朝を成立。この李朝はのちに「大越(ダイベト)」と称しました。」

セカコ: 「教科書によると、李朝の次は、陳朝です。」

先生: 「陳朝では、ベトナム語を記述するために、漢字を利用したチュノムという文字が作られました。しかし、この朝の支配は広範囲には及ばず、チャンパーという国とも対立が続きました。チャンパーは海上交易を行い、南アジアの影響を強く受けた国で、多くの寺院群を築き上げました。」

セカコ: 「東南アジアの歴史は多様で興味深いです。ありがとうございました。」


参考文献


【世探704】詳説世界史 山川出版社


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