死別するということ
覚えていること。
母方の祖母の場合。
うつ病になってほとんど寝たきりになった祖母が、遊びに行く度に作ってくれたほうれん草のお浸しと焼きガレイの味はいつまでも再現できない。最後に会った時に「お金がタンスの中の抽斗に入ってるから、持って帰ってね」と言った祖母は笑っていた。
母方の祖父の場合。
半身麻痺で炬燵から動かなかった祖父はいつも何も喋らなかった。施設に入ってからは一度だけ会いに行った。その日の帰り、車椅子を押しながらエレベータまで見送りに来てくれて、控え目に手を振ってみたらすごく嬉しそうな顔で手を振り返し笑ってくれた。
父方の祖父の場合。
失踪して、見つかった時には癌になって病院に入っていた。最初で最後の出会いだった。知らない人が、病院のベッドで寝ていた。でも、初孫だって言う声はすごく優しかった。
同級生の場合。
成人もしていない頃、ヘルメットをせずにバイクに乗って電柱にぶつかって死んだ。誕生日が同じで親近感は感じていたけど、親しくはなかったからお葬式には出られなかった。
友人の知人の場合。
自殺志願者に巻き込まれ、事故死した。自殺志願者は生き残って「ああ、死ねなかった」と呟いた。
近しい人でも、遠い人でも、まったく知らない人でも、誰かが亡くなるということは人生がちょっと、もしくはひどく揺らぐということだ。
だから私は人の生死を描きたい。簡単に死を扱うなという声も分かるけど、それでも私は、当たり前のようにそこにある人の生死によって揺らぐ人の人生を描きたい。
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