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生きると死ぬとの境界線

自殺願望を持っている という女性が
書いた記事を読んでいて
あぁ、懐かしいな と思った

詳しいことには触れないが、
私ももう長いこと 死にたいと思い続けて生きてきた

自転車に乗っているとき 対向車のほうに
ふっと ハンドルをきってしまいそうになるのだ

その向こう側はすごく微妙で
薄くて軽いヴェールで区切られているだけだった

いつか死んでしまうのに
なぜ生きていなければならないのだろう
どうして苦しい思いをし続けなくてはならないのだろう

自分のなかから湧き上がって止まらない
強い激しい怒り
何をしても 何をしなくても
苦しくて

苦しいんだ
わたしは苦しいんだ
と叫びたいけど叫べなかった
泣き喚きたいけれど
それさえも押し殺してしまう
いつしか無気力になる時間が増え
その向こう側が私のすぐ近くにいつも居るようになった

死にたいと思うことは 病気なのだろうか

みんな言わないだけで、
多かれ少なかれ 死にたいと思うことはあるのだろうか


数年前に友達がひとり、自殺をした
本当は死にたいんだと話してくれた人もいた


私の周りには 案外 死にたいと苦しんでいる人はいる

しかし、みんな病気ではない
ただ、本気で一所懸命生きている人達だった


どうして死にたいと 思うのだろうか

そもそも、人以外の生き物は
自分が生きているという事実を持っているのだろうか

死にたいと思ったことがない人は
自分が生きていることに気づいたことがあるのだろうか

死にたいと思う人は
自分が生きているという実感を持っているのだろうか


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死ねないだけで生きてきた30年余、
なんとか命を繋ぐことができたのは
やはり愛だったと思う

ふとしたスーパーのおばちゃんの優しさだったり
涙で滲んだ空に光った流れ星だったり

あの日、誰かからもらった愛であったり
それでも誰かのことを愛している という事実だったと思う

変わらないことは世の中にはなくて
死にたいながらに
目の前のことをひとつづつ淡々と重ねていく
理由もわからない涙が止まらなかったとしても
淡々と家に帰って風呂に入る

変わらないことはないと自分に言って聞かせ
できることしかできない自分を許してやる


そんなことを続け30年余が経った


いま私は、生きていてよかったと心から思う

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