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手先は器用、本質は不器用

認めたくなかったことですが、手先は器用だが、本質的には器用ではないのだと、去年承認しました。わかってはいたけどこんなふうに言語化したくなかった、でも受け入れることにしました。なぜなら、不器用にも背景を理解し認めた上でその自分とどう付き合うかを見つけたかったからです。

手先は器用というのは文字通り。比較的人より飲み込みが早く、だいたい何でもできます。いろんなものに興味を持てるからこそ、できるようになりたいという気持ちがそうさせているんだとも思います。

本質的な不器用とは、一つのことに熱中すると他のことが手につかなくなる、という解釈です。正確に言うと、手をつけなくなる。それに集中したいから、他のことを遮断したくなってしまう。

それだけ集中して取り組みたいという熱意があることと、人一倍注意散漫だとわかっているからこそ他を遮断したいと思うことから。複数の業務を70%ずつ、上手い具合にこなせないのです。120%で取り組みたい。

この通り器用&不器用だからこそ、人に任せる領域が減ってしまい、自分が実務をやりたくなってやってしまう、そうすると仲間や部下とのギャップが広がってしまうという弊害がありました。今年はそれを減らしたい。

熱量は自分の強みであり、必ずクライアントのためになると信じているので、器用に70%でこなそうとはせず、実務を抱えすぎることなく、じっくり集中して考え、取り組みたいと思ったのでした。

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