日記 8月18日 日曜日

今日は朝から同居人を泣かせてしまって、かなり申し訳ない気持ちと焦りが出た。
親しくても人の容姿をイジるのは良くないとちょっと反省。 
あと同居人とは少し前に性の問題でちょっとした衝突というか、まぁハッキリさせたいが故にお互い傷ついたような感じになって、それ以来相手が少しナーバスになっていたのはわかっていた。
ごめんなさい。
そーゆう問題他の人達はどうしてるんだろうな。。気になる。

昼にはなんとか相手の機嫌も収まり、2人で途中だった「絶叫」というドラマを見た。
原作小説を読んでたけどドラマの再現度の高さにびっくり。WOWOWはクオリティ高いな。

絶叫は社会に居場所が無い人など現代の孤独をテーマにした話。
20代の頃に見たら今みたいに一つ距離を置いて見ることなんてできなかったろうな。
現代社会で心から信頼し合える人に出会うことは本当に難しく、稀だ。

僕は昔まるでこの社会で生きることが野に放たれた凶悪犯罪者や悪質な詐欺師の群れの中で生きてるような感じがしたのを覚えてる。
そんな中働いて生きなきゃいけないこと自体がゾッとするようなことなのだ。
世の中についていけなくても誰も助けてくれないそれどころかそんな人を利用し更に破壊し死ぬまで追い詰めていく。
そんな「悪い人たち」の中でどう生きていくかが若い頃僕に有った漠然とした社会観だ。

そんな気持ちを少しでも思い出させてくれる作品は本当に親しいものを感じる。この人も孤独だったのか、とかそーゆうこと真剣に考えてるんだなぁ。とか。
僕もそんな作品を絵で描きたいのだけど。。今はまったく描く気になれない。
好きで描いてるのになんで描かないといけないって気持ちがあるのか、自分から絵をとったら何も残らないから?人が僕を見た時、知った時、こいつ駄目だ。。って思うから??
僕は考えることと話を聞くことは得意だ。
絵を書く以外にも良いところは沢山あるはずなんだがな。。


夜になってなんとか外出できる気温に。満月だった。
最寄り駅近くの業務用スーパーに色々な食料を2人で一緒に買いに行く。歩いていると暑くなる。
色々あるけど結局仲は良いんだよなぁとしみじみ。

僕は少しずつ過去の自分が拘っていたものが無くなってきているのを感じる。プライドというか、自分はこうでなきゃダメみたいなもの。
だから最終的には僕は何者でも無くその時の僕でしかなくなるのだろう。つまりただの人生の体験者になるのだ。
社会的役割ではなく、自己実現でもない。商品でもなければサービスでもない。
快楽や、不快や、安らぎや、不安、怒り悲しみ、喜び、多幸感、思考、そーゆうものを求めるだけの存在になるのだろう。