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麦秋。あとひと月ほどは、この眺めが続く。これからもっと深い黄金色になってゆく。刈り取られる頃には、ほとんど枯れているのじゃないかと思われるほど、白茶ける。ある日はっと、色の違いに気づくのだ。雲の形が、夏だと告げていることに、ある日突然気づくように。

風が吹くとさわさわと麦の穂が鳴る。穂先が風の通り道を描いて揺れる。アパートの窓からそれを眺めるのが好きだ。まるで海の波のようだと思う。音がするところも、風でしなった穂が元に戻るところも。落ちていく陽に照らされて、ちかちかと光の道が走るのも、夕方の海みたい。

暗くなると、麦畑からカエルの声が聞こえるようになった。刈り取りの時までカエルの声は増え続ける。刈られたあとに一度止んで、水が入って稲が植わるとまた鳴き始める。それはものすごい大音量で、電話口でも聞こえるらしく、うるさい、と妹は冗談めかして言った。もう本当に、別々の人生を生きているんだなと思った。わたしにとって当たり前の音が、彼女にとっては当たり前じゃなくなっている。子どもの頃は、当たり前を共有していたのに。それぞれの土地でそれぞれの毎日を、それぞれ当たり前のこととして生きている。

海が見えるのが当たり前だった生活はもうない。でもわたしは、海を見つける、麦の穂に、稲穂に、時には空に。わたしだけのちいさな麦の海に、今日も夕陽の光がおちてゆく。


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