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図書館に行ったら、『ヤービの深い秋』が表紙を見せて出迎えてくれた。あ、梨木さんの新作だ、とすぐ手に取った。読む、と思ったあとで、ヤービは前作があったはずででもそれは読んでいない、と気づいて、『岸辺のヤービ』を検索してそれも手に取った。どちらも表紙をめくると見返しの部分にヤービの世界の地図が描かれていて、その素朴な手描きのかんじとヤービの家、島などと書き込まれた文字の可愛らしさに、ただただうれしくなった。目の前にいまだ知らない世界が用意されている、その世界をいまから知っていくのだ、そういうきらきらしたときめきが、子どもの頃とまったく変わらずに押し寄せてくる。その不思議な感覚をなんと言ったらいいのかわからない。まるで過去の子どもだったわたしが同じ場所にいて、いまのわたしと同じように喜んでいる気がした。いつかの過去に同じ本を見つけた子どものわたしが、いま現在のわたしに二重写しになって、きらきらと目を輝かせて本を開いている・・・

小学生の頃、見返しに地図がある本をよく読んでいた、と思った。本をひらいて、すぐ目に入ってくるその地図は、まだよその世界だけれど、この世界の中でどんな物語がどんなふうに展開するのかとどきどきしながら眺めた。読み始めると、そのよその世界は、わたしの世界になり、その地図に描かれた様々な場所でわたしは歌い、踊り、走り、笑い、あるいは戦い、泣き、凍え、叫んだ。そういうことを思い出したのは、ページに打たれている文字の書体や、大きさ、字間、行間、余白の部分、そういうすべてに見覚えがあったから。別の本、別の物語で何度も何度も読んだことのある版面だった。懐かしいというよりももっと切実な、いまの自分と地続きな既視感。こういう版面を読んでいた過去のわたしの体感と、それを思い出すいまのわたしと、その二人のわたしをさらに見ているわたしが、半透明のマトリョーシカみたいに重なって、それぞれの歓びが幾重にも重なって、こうふくに呑みこまれた。すごく奇妙な、けれどとてもこうふくないっしゅんだった。



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