それを何と呼ぶのかわたしは知らない

公園を流れる小川の水底に、小さな丸い影が渡っていく。
影の縁が光っていて、光の環の中に影を抱いて、
いくつもいくつも現れては流れ消えていく。
水面には流れるものは見えない。
ただ影を抱えた光の環だけが底を走っていく。
何もないのに、なぜ影と光が現れる?

小川にかかる小さな橋に身をかがめてのぞき込めば、
そこにくるくると渦を巻いている流れが見つかる。
じっと目を凝らしてやっと見えるような小さな渦。
その渦が、真ん中に影のある光の環となって水底に映っているのだった。
渦の中心が影になって、縁が光っているのが不思議で、
水面の渦と、底に走る光の環を飽きることなく眺めていた。

わたしはその、光の環で縁取られた影を何と呼ぶのか知らない。
知らないままに体験する。その美しさを、不思議さを、はかなさを。
赤ん坊がそれが何か知らないまま、手に取り遊び戯れるように、
それそのものを味わい、体感する。
名前ではない、もっと生(なま)のそれ。
それと、わたしと、わたしの感覚だけがそこにある。

そんな原始的なつながり方で、
わたしは世界を体験していきたい。
わたしたちがつけた名前を超えて、
生(なま)のそれとしてただ存在する世界を、
わたしは言葉を超えて、ただ経験していく。



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