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買い物からの帰り道、自分の家の方向から真っ黒な煙が上っているのが見えて、六、七年前、住んでいるアパートの別棟でボヤが出たときのことを思い出した。防災サイレンがうーと鳴っているのが、ぼんやり聞こえた。車内では大きい音でスピッツが流れていたから、サイレンの音に気圧されずにすんだ。そのボヤのことを書こうと思ったけれど、もう一つ、思い出した。

わたしの小学校の入学式の朝、実家の前にある山で火事があったのだ。見つけたのはわたしだった。町内放送のためのスピーカーが設置されている斜面の向こうで、炎がちろちろと動いているのが見えた。まるで蛇の舌が動くみたいに、ちろちろちろちろと踊っているようだった。それがはっきり見えるくらいに視力がよかったとは思えないのだけれど、でもわたしは見たのだった。「山火事だよ」と、そのときなぜ山火事という言葉を知っていたのか不思議だけれど、わたしは大人たちに言った。(当時うちには大人がいっぱいいた。父と母と祖母と伯母だ。)大人たちはすぐには信じなかった。でもそれぞれ自分の目で確かめて話し合って、どうやら本当に山火事らしい、ということになったようだった。見ればわかるのに、とわたしは思っていた。見たら燃えているとわかるのに、大人たちは見てもなお、本当に燃えているのかしら、そう見えるだけじゃないかしらと、おそらく言い合っていた。(とわたしは記憶している。)あんな風に火がちろちろと山の草地をなめまわしているのに、大人たちはそれを見ても半信半疑でいるのが、わたしには不思議だった。

そのあとのことはあまり覚えていない。消防車がやって来たことや、たぶん見物に出てきた近所の人たちで騒然としただろうけれど、覚えていない。わたしは紺のブレザーに、赤いタータンチェックのスカートをはいて、ランドセルを背負って入学式に向かった。プリーツの入った赤いスカートがうれしくて、帰りの下り坂を、ボールを蹴るみたいに足を大きく振り上げて歩いた。「なんでそんなんするの」と母が聞いた。スカートがひらひらするのがうれしいから。このスカートが大好きだから。瞬間的に、そういう思いがわたしの中に浮かんだけれど、口に出しては答えなかった。母は理由を尋ねたのではなくて、そういうことはしてはいけない、と暗に言っただけだとわかったから。スカートひらひら楽しいのにな、うれしいのにな、大人は楽しいことがわからないのかな。わたしは黙って、行儀よく普通に歩いて帰ったのだった。

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