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朝起きて、幼なじみのあずみちゃんとのことを思い出した。

小学校中学年くらいの時、あずみちゃんの家で毎日の放課後を過ごしていた。彼女には、マンガ好きの年の離れたお姉さんがいて、お姉さんのマンガをこっそり借りて、二人で読んでいたのだ。ほとんど会話はなかった。お互いが読んでいるマンガの世界に没頭していた。

ある時、他の何人かの同級生も彼女の家に遊びに来て、みんなでごっこ遊びをしようと言った。でもわたしは、その日もマンガを読んでいて、その遊びに加わらなかった。ねえ、こっちに来て遊ぼう。言われても、わたしは、うん、と生返事をして、ページから目を離さなかった。彼女たちは困惑していたけれど、あずみちゃんは気にしていなかったと思う。読み終わるまで、いつもああだから、と。

中学校の帰り道に、本屋に寄って二人そろってマンガの最新巻を買った日。あずみちゃんは、そのマンガを早くも開いて、歩きながら読んだ。普段なら十五分ほどの道のりを、ゆっくりな彼女の歩調に合わせて、倍近くの時間をかけて帰った。わたしは家で集中して読みたかったから、彼女に車が通るのを教えながら、のんびりと歩いた。当然会話はなかったけれど、ちっともいやじゃなかった。あずみちゃんがその最新巻をすごく楽しみにしていたことも、読んでいるいまがとてもしあわせなことも知っていたから。

六年生の時には同じクラスだった。担任の先生に尋ねられたことがある、何をしているときがしあわせなの?と。唐突な質問に絶句しているわたしに代わって、たまたま隣にいたあずみちゃんが即座に答えてくれた。マンガ読んでる時だよね。あずみちゃんは真実を言っていた。とても的確に。

あずみちゃんは、わたしのしあわせと思うことを理解して、尊重してくれていた。わたしも彼女のしあわせを邪魔しなかった。そういうすこやかな関係性を、わたしは持てていたのだなと、いまになってわかったのだった。それは本当にありがたいことだったと思った。あずみちゃんがいてくれて、わたしはしあわせだった。すでに充分、しあわせであったのだった。


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