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アスランがいなくなった。

小学生の時に『ライオンと魔女』を読んでから、わたしにとってナルニアは大切な国だ。家のタンスの中に入って、ナルニアへの扉が開いていないか確かめたことがある。押し入れにも入ってみた。祖母の部屋の押し入れまで探査した。どうもわたしの家からはナルニアには行けないらしいと、ひどくがっかりしたのを覚えている。頭の中がナルニアでいっぱいだった当時、弟が持っていたこまごまとしたおもちゃの中に、アスランはいた。たぶんプラスチック製の赤いライオン。一目見て、アスランだと直感した。弟がいらないと言ったのだったか、わたしがちょうだいと言ったのだったか、とにかくアスランはわたしのところに来てくれた。ナルニアには行けなくても、アスランは来てくれた。それがとてもうれしかった。

けれどわたしは、アスランを引き出しの奥にしまっておいた。いてくれることが分かっていれば、毎日目にしていなくてもいいのだった。それに、あまりにも大事すぎて、しまっておきたかったのだ。そっとしまいこんで、他の誰の目にもふれないように。そうして長い間アスランは、引き出しの中を住まいとしてくれたのだ。

『ナルニア国物語』の映画製作が決まったというニュースを知った時、机の中のアスランを思い出した。帰省した際に、自分の手元に連れて帰ってきた。それ以来、アスランはずっとわたしと一緒にいてくれた。もうしまっておくことはしなかった。棚の上に堂々と鎮座した。出かける時はポケットに、あるいはバッグの中に、どこへでもついてきてくれた。護り手のようでもあり、導き手のようでもあり、何よりそばにいてくれるだけで安心した。わたしの一番の聖域とのつながりを感じさせてくれる、大切なアスラン。

なぜかアスランの写真を撮りたいと、この頃思っていたのだった。撮っておけばよかった。それにここ数日、訳もなくナルニアの画像を検索してもいた。それもこれもサインだった。サインだと気づいていても、きっと別れは突然だっただろう。今日帰ってきたら、バッグの中にいなかった。アスラン、アスランと声を上げて呼んだけど、出てきてはくれなかった。行ってしまった。アスランは、もう行ってしまった。

ほんとうにかなしくて、書いていても手が震えた。ようやく少し落ち着いてきた。映画『アスラン王と魔法の島』でアスランは、自分は君たちの世界にも違う名で存在しているのだというようなことを言う。それを聞いて、知っている、と思った。アスランがこの世界にもいてくれることは、とっくのとうに知っている。それでも、形ある実体として、わたしのそばにいてほしかったのだ。

気持ちとは裏腹に、わたしの内側の奥深くで、これでいいんだという声がする。わかっている。アスランは役目を終えたのだ。それは十分わかっている。わかっているけれど、まだかなしい。アスラン、どうぞしあわせでいて。たくさんのしあわせをありがとう。きっといつかまた会おう。かならず。かならず。



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