見出し画像

言の葉の波紋

自分を取り戻して、自分の核、コアを思い出す瞬間。それは読んでいるときにやって来ることが多い。今朝読んだ文章は、とてもやさしくて、ふわふわとした手触りの何かにくるまれているような、あたたかくてきれいなものだった。読むことで描いたイメージではなくて、文章そのものがそのようなものだった。美しいと思った。このようなことばを綴りたい、このように書きたい。身体に芯が通って重心が定まった気がした。

それは、クリスタルから受けとったというイメージが書かれたものだった。ものすごく落ち着いた文章だった。自分の受けとっていること、見えていること、感じていること、それをことばにしていくことに、絶対の信頼が置かれている。一分の疑いもない。ゆったりとして、安定していることばたち。

昔に巫女が口寄せたのも、このようなことばだったのだろうと思った。託された言の葉は、預かったそのままで、伝えられるもの。

ここのところ、音の波動が波紋を描いているのを思い浮かべていて、書かれた文字にも波紋が生まれるのじゃないかと思った。純粋にことばそのものの持つ波紋に、書き手の在り方の波動が乗って、唯一無二の波紋となる。何が書かれているか、ということよりも、どんな波紋であるか、ということを、わたしは今朝読んでいたのかもしれないと思う。

このように書きたいと思っても、わたしは決してそのようには書けない。わたしはわたしの波紋となるしかない。それがどのような波紋であっても、いまは受け容れられる気がする。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?