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0620 木と歓び合う

大きなねむの木の、そばにいるだけでいい香りがした。風が強めに吹いていたけれど、ちゃんと香った。目の前に花が見えるくらい、枝が垂れ下がっていた。相当に大きい。大きいと、ねむの木の南国的というか、ちょっと天上的な雰囲気がいや増して、そこだけ別世界に感じられる。濃いピンクの花は、ぽわぽわで、初めて見たときに生きものの羽根のようだと思った。妖精とか、精霊とかの。

見知っているねむの木たちに、なかなか会いに行けないなと思っていたら、道端の大きなねむに出会ったのだった。植物同士は、遠くの場所にあってもひそやかに交信していると、どこかで読んだ。ねむの木に会いたい気持ちが、わたしをこの場所に連れてきた。そして、この大きなねむの木にわたしが胸をときめかせていることは、きっと他のねむの木たちにも伝わっているのだろうと思った。

想像しただけで、こうふくな気持ちになった。わたしのときめきと歓びとしあわせが、小さなたくさんの光の粒になって、目の前のねむの木にまるで明かりが灯されるように、渡されていく。それは木の根っこを通って、ねむの木同士のネットワークをさざめいて走っていく。世界中のねむの木たちに、光の粒が次々と届けられて、見えない光の花がぽうっ、ぽうっと咲いていく。もしかしたら、その光の粒を受けとることで、花はもっと匂やかになったり、葉のみどりは色濃くなったり、幹の内側ではごうごうと勢いよく水分が巡ったり、するのかもしれない。そうだったら、とてもすてきだ。わたしの、ねむの木が好きだという気持ちが、ねむの木たちを元気にするのなら。そうだとしたら、わたしはほとんどそのために生きているのじゃないかとさえ思った。

きれいなものを見せてもらって、草花たちから受けとるばかりだと思っていたけれど、わたしも与えることができていた。そう思ったら、ほんとうに楽になった。これまでだって、これからだって、わたしは歓びの循環の中にいる。合歓(ねむ)の木に気づかせてもらった。





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