月へ行く
これは誰にも話したことがないのだけれど、月へ行くには裏道がある。
銀色にひかるロケットに着膨れた宇宙服で乗り込まなくても、田植え直後の清しい水面に映る月に飛び込まなくても、暗い夜の坂道を月を目指して上らなくても、黒猫の瞳の中の虹色の星を覗き込まなくても。
あるいは、手を伸ばして月を掴もうとしなくても、長い長い梯子をかけなくても、月を撃ち落とさなくても、傘でつつかなくても、ぽろっと夜空から剥がれ落ちてくるのを虫取り網で受けとめようと待ち構えなくても。
そこはとてもふしぎなところだ。うさぎがお餅をついていたり、大きなクレーターがいくつもあったり、月の石がごろごろしていたりはしない。知識で知っていたり、想像していたりする月とは、似ても似つかない。
自分が行ってみて気づいたのだけれど、おっぴばあちゃんが話してくれたお花畑は、月のことだったのじゃないかと思う。おっぴばあちゃんは着物を縫う仕事をしていて、私の七五三の着物も仕立ててくれた。
「きれいな着物縫ってっとね、ばあちゃん、いつの間にかお花畑さ行くんだよ。まあ、それはきれいでねえ、ばあちゃんの好きな花ばっかり咲いてては、花さ囲まれていい気分なってるうちに、縫い終わってしまうんだ」
私に被布を着せながら、おっぴばあちゃんは言った。
「あんたのこれば縫ってる時も、いいとこさ行った。あんたみたいに、こまくてめんこい花がいぃーっぱい咲いてたっけね」
私は着付けてもらった晴れ着がきれいでうれしくて、おっぴばあちゃんがニコニコしているのがうれしくて、ばあちゃんの言ったそのお花畑に自分もいまいるような気がした。
「いーっぱいきれい?」
「んだ、いぃーっぱいだ。うぅーんとうつくしかったねぇ。ほら、できた。まぁ、あんたもうぅーんときれいだこと」
うぅーんとうつくしい、としか言えないところ。
私はパン生地をこねる。手のひらの親指の付け根から手首にかけての部分で、ぐっと生地を押し伸ばす。伸ばす、伸ばす、伸ばしてちぎれた生地をまとめる、また押しながら伸ばす、伸ばす。素早く何度も繰り返す。自分の体重を全部、手のひらのその部分にかける。手だけじゃなく、腕も背中も腰も、全部使ってこねてゆく。こねる私を両の足が強く支える。ぐっ、ぐっ、はっ、はっ。動きと息がひとつになる。早朝の工房に、その私の息遣いがひろがってゆく。まるでこの世には、自分の呼吸しかないようなかんじがする。
そして反転する。手のひらの力とパン生地が、工房と自分の呼吸が。くるっとひっくりかえる。
すると、
そこは月だ。
眩しすぎて何も見えない闇。
そこは森だ。
鬱蒼と繁るみどりの、乱反射。
そこは川だ。
逆巻く流れと押し流るるエネルギー。
そこは海だ。
海鳴りの音と、砕ける波のつぶやかな泡。
そこは空だ。
茫漠とした、透明な手触り。
そこは
そこは
何と言えばいいのだろう。
そこをあなたなら何と言うだろう。
ひっくりかえった内と外を、
私はそこを月だと思うの。
そこが月ならば、
月へ行く裏道は、本当のところ、誰でも知っている。
あなたの裏道は
あなたの月は
あなたしか知らない。
あなたにしか行けない。
月は、自らの内にある。
私は今日も、パンをこねて月へ行く。
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