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梨木香歩『岸辺のヤービ』。「お日さまばんざいパーティー」というものと、そこから見えてくるヤービたちの世界とのかかわり方に、ひどく揺さぶられてnoteを書いたあと、出かける車の中でわたしは涙ぐんだ。自分で書いた「愛する世界」という言葉に、胸がいっぱいになってしまったのだ。それは「(わたしの)愛する世界」のことなのだと気づいたから。

空を眺めるのが好きで、道端の小さな草花が好きで、お気に入りの友だちのような木もいて、一日の中で移ろう陽の光に見とれて、咲く花の色の美しさに、その香りに、胸をときめかせて生きているけれど、その気持ちを決して愛という言葉で表そうとはしなかった。だってわたしはこの地上を汚すだけの害悪でしかなくて、何も地球に返せない、そんな自分に愛を口にする権利なんてない。ずっとそう思っていた。

あのとき、「世界」の前に「愛する」と、あとから書き加えたのだった。なぜ加えたかわからない。ただそう書きたくなったから。でも、ふと「愛する世界」と書いたことで、なんだ、わたしはこの世界を愛しているのだ、この世界を愛すると口にしてもいいのだと、自分のことばに許可を出されたみたいに、わたしはわたしの気持ちを、閉じ込めていた場所から出してあげることができたのだ。深い罪の意識から解放されて、運転中なのに泣けてしょうがなかった。

今日『岸辺のヤービ』の最後の十数ページを読み終えた。ヤービたちの暮らす水辺(マッドガイド・ウォーター)の環境の変化で、引っ越しが必要かもしれない、という話のあと、ヤービは言うのだ。

「『お日さまばんざいパーティー』で、お日さまをはげますのと同じように、マッドガイド・ウォーターもはげましてあげてはどうかしら。そういうお祭りをして、かんぱいして、『マッドガイド・ウォーターがんばれ』っていうんです。そしたら、きっと、がんばってくれるのではないでしょうか」

そして、そこに住む自分や家族、友人たちもマッドガイド・ウォーターの一部だ、と気づいて、

「ぼくたちが楽しくきもちよくいれば、マッドガイド・ウォーターがそうだってことになるかしら」
「じゃあそのあたらしいパーティーの、かんぱいのことばはこうです」
ヤービはゆっくりと、力をこめていいました。
「みんながんばれ」

話を聞いていた大きい人(人間のことです)のウタドリさんが続ける。

小さく、いい聞かせるように、自分でもそのことばをくりかえしました。「みんな」に、わたし自身をふくめて、です。
「みんな、がんばれ」


「わたしの愛する世界」と言った時に、その世界にはすでに自分も含まれている。わたしが愛する世界の一部なら、わたしはわたしにすでに愛されていて、そしてすでに許されている、この世界に在ることを、この世界とともに在ることを。

泣きながら運転して出かけたワークショップで描いた絵。これまでの世界が破られ広がって、空いたスペースはこれからの色を待っている。

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