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0119 烏瓜のこと

ランチに入ったお店に、烏瓜(からすうり)が飾ってあった。烏瓜のことを書きたい。

それが烏瓜という名前だと知る前は、ただの、赤い実と呼んでいた。秋も深まった頃、どちらかというと小ぶりな木々に、ツタのように絡まって赤い実はぶら下がっていた。色づいた葉っぱも落ちて、幹もしわがれ、色をなくす中、その赤い実は目を引くのだ。かわいい赤い実、つやつやと午後の光に明るく光る赤い実。

石井桃子さんの『幻の朱い実』についての書評か何かを読んでいた時、この朱い実というのは、わたしがいつも目にしていたあの赤い実のことだと、卒然と悟った。そしてその文章の続きには、それは烏瓜の実だと書かれていた。わたしの赤い実は、言われてみれば確かに朱い実で、そうか、からすうりというのか、とすべてが一瞬のうちにつながってゆく感覚だった。わたしにとって「赤い実」としてしか存在していなかったものが、その名前を与えられ、朱い実と表現され、それが石井桃子さんとも関わっている、その時「赤い実」は奥行きと深さを増して、それまでの「赤い実」とは違うものとなった。

そのあとで『幻の朱い実』を読んだ。読んだことで「赤い実」はまた別の層を重ねた。わたしがからすうり、とその実の名前を呼ぶとき、そこには、まだ名前を知らなかった頃の赤い実と、名前を知った時のつながる感覚と、桃子さんの小説に書かれた朱い実と、烏瓜と呼ぶようになってからの記憶とが、ぜんぶある。それが名前を持つ前と、名前を持った後が、本当はあらゆるすべてのものについてあるはずだけれど、わたしたちはその一つ一つを覚えてはいない。名前以前と、以後の経験を持っていられるのは、とても貴重なことだ。わたしにとって、その貴重なものの一つが烏瓜。

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