みやぎきょうこ
わたしの小学校一年生の担任の名前がみやぎきょうこだった。同じクラスに、みやぎきょうこという同姓同名のせいともいた。
みやぎきょうこ先生はとても親しみやすい先生で、わたしは大好きだった。
友達やうちでは「あーこ」と呼ばれているので、「あやこさん」と言われると非常に緊張するのだが、きょうこ先生のちょっとしゃがれた滑舌のよい声で呼ばれたら、とても温かい気持ちになった。
私は鍵っ子で、5歳離れた弟は保育園に預けられていた。銀行員の母が帰宅するまで一人で家で留守番することになる。父はいつももっと遅い帰宅だった。
たぶん冬で日が短く、暗くなっても母が帰ってこないので、私は心配になった。
「お母ちゃんは、タクシーの運転手にゆうかいされたかもしれない。どうしよう」
ダイアル式の黒電話でみやぎきょうこ先生の家に電話した。
「お母ちゃんが帰ってこない。もう暗くなってるのに。もし、ゆうかいされていたらどうしよう」私は泣きながら、きょうこ先生に怖さと淋しさすべて注ぎ出した。
「あやこさん、大丈夫よ。必ずお母さんはもうすぐ帰ってくるから。心配いらないよ。あやこさんの好きな本はなあに?」
しばらく電話で話しているうちにお母ちゃんは帰ってきた。
私は今でも、きょうこ先生の声を頭に再現することができる。あれは、話された内容よりも、先生のしゃがれた・はっきりと・ゆっくりと話された「声色」にパワーがあった気がする。声を聞いただけで、安心と信頼がフワーと温かい空気になって私を包み込んでくれた。
あんな先生には、その後2度と出会うことはなかった。
みやぎきょうこみやぎきょうこみやぎきょうこ
どうやったら、みやぎきょうこ先生になれるんだろう。寂しくて怖い時に電話したくなる先生になる方法はあるんだろうか。誰かおしえてくれ。
小学校2年生の担任は、タバタはまこ先生だった。とくに好きでも嫌いでもない先生だった。ひとつ強烈な出来事を覚えている。あれは、どういう状況で話されたことだったのかよく思い出せないが、先生はこう言った。
「あやこさんは、話を聞いているようで実は上の空ですね。でも、みやぎきょうこさんは聞いてなさそうで、ちゃんと話を理解してますね」
そう、「みやぎきょうこ」とまた同じクラスになった。
タバタはまこタバタはまこタバタはまこ
上の空でも・見逃してくれよ(ここは今日子風に)
私は先生の言葉に傷ついたりしなかった。逆に、「あ・この先生はちゃんと私のこと見てるんだ・わかってるんだ・すごいな」と子供ながらにとても感心した。そして、みやぎきょうこはすごいな、聞いてなさそうでちゃんと理解できてるんだ、と。
みやぎきょうこみやぎきょうこみやぎきょうこ
どうやったら、みやぎきょうこさんになれるんだろう。聞いてないよで・ちゃんと理解してる生徒になる方法はあるんだろうか。誰かおしえてくれ。
昔も今も変わらず、私は注意散漫と好きなことには異常に執着する傾向がある。そのせいなのか、スペクトラムの子達たちとはものすごく気が合う。彼らはわたしを放っておいてくれるので自分のやっていることに集中できるし、興味のあることにはしつこいほどの情熱を示すので話が盛り上がる。
「みやぎきょうこ」というタイトルのうたを作って歌いたい。なんか、楽しそうで温かくて、掃除機かける時に大きな声で歌いたくなるやつだ。歌詞は「みやぎきょうこ」をしつこいほど繰り返して、そのうち「みやぎきょうこ」の意味と音が分解されて、全く別のものになってしまうような歌。リズムとメロディが入るとそれが可能になるんだよなー。上の空で・空の上で・楽しく歌えるうたー♪
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