廊下を歩くように

 おいしいものを食べたことがあると思うが、その時の味を覚えているだろうか。
 もし覚えているとすれば、それは本当においしいものではない。
 本当においしいものの味は表現できないので、覚えることができないからだ。
 ちなみに、今まで3回あるが、そのうち一つは食べたものすら忘れてしまった。
 たぶん人間は、自分にとってマイナスになることを記憶するようにできているからではないか。危険を避け、身を守るために。

 同じように、我々は当たり前の行動をあまり覚えていない。
 当たり前のこと、すなわち、よいことをした時のことは、案外覚えていないのだ。
 例えば、コンビニのドアを後から来た人のために少し開けて待つ。
 俺っていいやつだなあと、湯船につかりながら、しみじみと振り返る人はあまりいないと思う。

 そう、当たり前なこと=よいことは、わざわざ意識して取る行動ではなく、さりげなく行うことなのである。
 だから、しっかりと身につけなければならないし、そうでなければ、こうした行動をとることはできない。

 今日は廊下で何人の人にぶつかっただろうなどと毎日振り返る人はいないだろう。
 廊下を歩く時に、他人とぶつからないように歩くということは、当たり前のことだからである。わざわざ好き好んでぶつかっていく人はいない。

 しかし世の中、敢てぶつかっていく人の何と多いことか。
 駄々をこねたり、物や人に当たったり。
 耳をふさぎたくなるようなひどい事件。
 国家による大量殺人=戦争。
 わざわざぶつかるということは、いちゃもんをつけるということだ。
 意見の衝突や1対1の喧嘩とは違う。

 廊下で人にぶつからずに歩くのは簡単だが、人生をそういうふうに生きるのは、結構難しいことに気づく。
 なぜだろう。答は簡単だが、実践は難しい。

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