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病気の一枚 53

2023年10月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、少し症状は軽くなってきた。それでも、腕を休ませながら、仕事は本格的に復帰していたが、2023年7月から再発治療による副作用のため、再び休職に入っている。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、4年。
手術して、3年11ヶ月。
最初の抗がん剤治療が終わって、3年5ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、9ヶ月。

また休薬。

先月末にコロナワクチンを打ち、10月になったからインフルエンザワクチンも打とうかな〜と思い、どれくらい間隔を開けたらいいのか病院に電話して聞いた。すると、乳腺外科的にはどの間隔でも大丈夫とのことだったので、10月に入ってすぐ打った。

その数週間後、今月の治療の日がやってきた。
血液検査を受けて、いつものように診察を待つ。あー、今日も採血痛かったなぁ・・・注射はいつ受けても好きになれないなぁ・・・などと思っているうちに、呼ばれた。

診察室のドアを開ける。閉める。先生と目が合う。
「肝臓の値が、爆上がりなんやけど・・・」
ほへっ?肝臓が爆上がりですとっ!?
慌てて荷物を置いて座って、メモ帳を取り出す。そして取り出しながら、血液検査の結果を目にする。
「急に3ケタに上がっとるんよね・・・」
あ、ほんとだ。先月まで正常値内に収まっていたのに、今月は肝臓に関する値が、どれも3ケタを超えている。私の肝臓はアゲアゲだ!・・・いや、そうじゃないだろよ。なんかいろんなアゲアゲな曲が頭の中を流れそうになるのを、ぐぐっとねじ伏せて、先生と話をした。

おそらく、今飲んでいるベージニオなどの薬が原因だと思うけど、確かではない。が、肝臓の値が3ケタを超えてる人に治療薬を渡すことができないし、今日はフェソロデックスのお尻注射もできないと言う。
また、この1ヶ月で、処方されている以外の薬を飲み始めたり、サプリを飲み始めたりしましたか?とも聞かれたが、
「いいえ。強いて言うなら、散歩を始めたぐらいですが・・・あと実家の母からもらった桑の葉茶を飲んだぐらいですが・・・」
どちらも関係ないと言われる。っていうか、散歩はむしろ身体にいいことなんやけどねと。

結局、ベージニオやフェソロデックス、鉄剤サプリ他、病院から処方されていたガンに関する薬たちをいったん2週間休薬することになり、代わりに肝臓の薬を処方された。

気分転換に来るね?

治療をする日は、必ず治療が終わったぐらいの頃に実家の母から電話がかかってくる。今日の結果を告げると、ショックを受けていたが、でもどうすることもできない。そこに自然とこの言葉が出てきたのだ。

そうやねぇ・・・家で一人悶々と休薬時間を過ごすより、たまには実家でわいわい過ごしてみるのも気が紛れていいのかなぁ・・・??
ま、考えたところで何も始まらないので、実家へ行ってみることにした。が、私の場合、いつも「実家に帰省する」と書いて「実家で働く」と読む。まあ、働いたとしても、甥っ子姪っ子たちは学校や習い事でほとんど家にいないし、少しはのんびりできるかな?

ということで、さらなる休養になればと思い、実家へ帰省した。
日々の労働はあれど、朝からの散歩も楽しかったし、母と家族に内緒で美味しいモノを食べに行ったりしたし、甥っ子姪っ子たちともたくさん遊んだし、よし。どんな検査がきても大丈夫!

撮った。

再検査当日。腹部エコーがあったので、朝食抜き。ぐーぐー鳴るお腹とともに、まずは血液検査へ。この頃は、何度も針を刺されたり、針を刺した後、ぐりぐりされるのが嫌になってきて、最初から手の甲を差し出すようにした。でも、採血室の看護師さんたちは、腕の奥深くにある血管から見事に採血してくれる。看護師さんたちが大変なのも分かるのだけど、注射嫌いとしては、痛いのは1回で十分だ。
腹部エコーはスムーズに進んだ。

検査が終わって、数時間後、先生の診察が始まった。
エコーは、特に何も異常は見られず、今年の春に胃カメラを飲んだ時に指摘を受けた「胆のう腺筋症」の疑いがあるだけで、特にガンが肝臓に転移しているとか、肝臓あたりがどうかなっているとか、そんなことは一切ないという。
そして、血液検査も、まだ正常値より上ではあるものの、肝臓の値が2ケタに下がっていたので、引き続き肝臓の薬を飲みながら、治療再開となった。

治療再開なので、またお尻にフェソロデックスを注射され、薬局で山のように薬をもらい、帰宅。
一回どれくらい飲むのだろう?と薬を集合させてみたら、薬だけでちょっとしたおかずになるんじゃなかろうか?という量になった。

また、ベージニオを服用している限りは、血液検査で引っかかって、休薬して、落ち着いて、また治療再開、このサイクルの繰り返しなのかと、はたと気づいた。
まあ、それだけ強い薬なんだろうから、身体に何らかの支障が出るのは仕方ない。ぼちぼち付き合っていくか。

また副作用の下痢との闘いも再開だ。



追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったらも52もご覧ください。



いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。




記事を書くための栄養源にします(^^;)