実際に手を動かすということ

実際に手を動かすということ
「興味がある。好きだ。」と「自分で手を動かして、人から何も言われずに作ってしまう」
この差は明確である。
デザインでポテンシャル採用。
デザインをしっかりと考え込まれたものやサービスがこれまでになく、インターネットを通して身の回りにものや思考として常に触れる機会がある。自分が昔子供の時、つまり小学校や中学校の時にはそんな機会というのはAppleの製品に触れたのが大きなものでいうと、初めてだ。
日本にはデザインやアートという道に進むということが、他の国と比較して、どこか風変わりであると捉えられることが多い。それは、多様なものがありふれている東京以外の日本においては特に顕著だったと考えられる。そんな時にはやはり、昔からの定番の道筋である、一般大学に進学し、普通に就職するという道筋に沿って進んでいくことであろう。

ここからが問題!!!!!

違和感を感じ、本当にこのままでいいのか。仕事はデザイナーとして携わりたい。そんな風に方向転換やっぱりしたいと考える大学生は絶対にこのご時世沢山いるのではないかと感じる。しかし、だからと言ってポテンシャルでデザイナーとして採用されることが正しいのかと言われれば、そんなことはないとやっぱり感じる。
「やりたい。興味ある。」と「ほっておいても手を動かしてやっちゃう」には大きな隔たりがある。自分が本当にやりたいか分からないけど、デザインの方がなんとなくかっこいいからやりたい。ポテンシャルで採用して欲しいというのは、結局のところ、自分で進んでやってしまおうというほどの好き、やる気がないのかもしれない。
だから、ほっておいても手を動かしちゃう訳ではないけど、諦めらめられないというのならば、1年間だけの専門学校などあるから、手を動かさざるを得ない状況を作り出し、自分をその環境に置き、確かめてみるというのも一つの手かもしれない。

「食べるのが好き」と「食べ物を作るのが好き」
「デザインが優れたものが好き」と「デザインを考え込んだものやサービスを作るのが好き」
「お笑いを見るのが好き」と「人を笑わせるのが好き」
「映画を見るのが好き」と「映画を作るのが好き」

「ユーザー、楽しむ側」と「創る側」
意外とこの視点が欠けたまま、将来について考えてしまうことがある。

こんなことを言っておきながら、自分がやりたいことが結局何か分からないため、今度4月からデザインの専門学校に1年間通う訳ですが、人生どうなってしまうのでしょうか。
どうして自分は周りと同じように、大半の日本の就活生と同じように、リクルートスーツを着て、就職活動に勤しむことができないのだろうか。
でも、直感的にそういった道になんらかの違和感を感じるならば、そうでない道を選択していこうと考える。生きていけるのか分からないけども、多分放っておいても、迷っていても、選択に躊躇していても、回り道をしても、最終的には結局のところ自分の行きたい道に近づいていくのでは。

#デザイン #就活  #人生 

こんなハッシュタグをつけるの恥ずかしさがある

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