「Mommy」グザビエ・ドラン監督作を観て
『博士と彼女のセオリー』を観た時にも感じたことだが、映画のひとつの効果として「過酷な物語を軽やかにみせる」というものがあると思う。
軽んじるという事ではなく、重さのバランスをとるという意味で。
評判からつらい内容だというのは知っていた。
それでもポスターにどうしても惹かれて見ることにした。オンデマンドだから、いやだったらすぐ止めればいい。
始まってすぐに右手はタッチパネルから離れていた。
やわらかな光。
あざやかな色合い。
風が、やさしくカーテンを揺らす。
スクエアに切り取られたカットは常に気持ちよくゆったりと配置され、一方演者の視線を、指の動きを、ダイレクトに捉える。それは観る者に、知らず知らずのうちに親密さを与える。
そしてスクエアが広がるとき。
それは希望なのか、幻想なのか。
選ばれた音楽たちがセリフにない余白を彩る。
Oasis、Celine Dion、Lena Del Ray、それにVivaldi。
物語はやっぱり辛かった。
愛とは。幸福とは。生きるとは。
答えはきっとなくて、自分で決めるしかなくて。
観る側の受け取り方によって変わるだろうけれど、わたしは最後まで辛かった。
それでもきっと、またこの映画を観るだろう。
もう一度観たいシーンが、ひとつ、またひとつと甦って、たぶん観ずにはいられない時が来るだろうから。
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