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ある朝の循環家

※ヘリオセントリック星読み、角度のお話。循環系をパロディにしています。

長女の結(むすび)は、ぼんやりと食卓に着いた。母の百二十(ひゃくにじゅう)が作る朝ご飯の音に起きてきたものの、昨夜、弟で長男の六十(ろくじゅう)と、次男の三十(さんじゅう)に言われた言葉が頭の中に響く。

「お姉ちゃんは、ほんとうに自分がすごいってわかってないんだねぇ」

わたしがすごい?みんなと同じことができないのに?お手伝いよりも自分の行動を優先してしまうのに?

母の百二十は、いつも優しくて家族の中心にいて、なにかと気を配り、どんなことでもみんなに分け与え、ひとり占めするようなことは決してない人だ。

弟の六十だってそう。父、太陽(たいよう)は結が幼いころから単身赴任でいない。そんな循環家の父親代わりも、このごろは果たしてくれる。結よりも年下なのに、母の百二十は六十を頼りにしているし、次男の三十も母や六十をよく助けている。六十は職場でも何かと重宝されているようだ。

結は、姉の自分がふがいなく感じていた。次男の三十でさえ、母や六十の手伝いをして喜ばれているのに、自分はどうだ。母を手伝うよりも、やりたいことが先に立ってしまって、勝手にふるまっている。やることが目立つため、周囲から叩かれる。そんなときは、母や弟たちがいつもかばってくれる。

「お姉ちゃんはそれが役割なんだよ」

役割ってなに?だれも歩いていない道なき道をかき分けていくことが、役割なの?だれかと一緒に歩きたいのに、みんなと一緒にスタートしたのに、いつのまにか先頭に立ってしまっている、この寂しさも役割なの?

「行くところまで行っておいで。みんながそれを期待しているんだよ」

循環家の家族は、そう言いながら、今日も長女、結の背中を押すのだった。

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