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彼がヤクザとカラオケしたからって、誰が困るってんだよ

 今さらながら、映画『カラオケ行こ!』を観た。

 Twitterでも良い評判が流れてきていたし、バイト先の先輩は号泣してその日のうちに「あと4回は観る」と決意したらしい。こんだけみんなが褒めてるんだからきっと面白いんだろう。宇多丸さんもたしか褒めてたしな・・・・・・ぐらいのノリで、原作は読まずに鑑賞した。


 まず、初めに好きな部分から書いていきます。ちなみにネタバレ大アリです。

気に入ったところ

・まず、中学校と中学生の空気があまりにも懐かしくて、「あぁ、中学ってこんなだったなぁ」と郷愁を掻き立てられた。

・「映画を観る会」の部長も出番は多くないけどいいキャラしてたので、ぜひ彼を主役にしてスピンオフ『映画見よ!』も作ってほしい。1話5分ぐらいのミニシリーズで、毎回彼と聡実くんがぽつぽつ会話しながら映画見るやつ。『青い体験』とか観ててほしい。

・説明的な台詞を多用せず、役者の表情や仕草、画で語るようなシーンを中心に組み立ててあるのも上品でグッド。とくに良かったのは2人の初カラオケのシーンで、『紅』のイントロが流れてるあいだ「・・・・・・長ぇな」みたいな顔してる聡実くんのアップ。

あと、なんといっても綾野剛の脚が長すぎてどうしようかと思った。

と、まぁ。ここに書いた以外にも美点は数多く全体的に「良い映画」だったことは間違いない。が、正直なところ僕は素直に乗り切れない部分があった。


いやほら、だってさぁ、聡実くん、

ヤクザはマズいんじゃないの?


いくらなんでもさ。

「ヤバい人」に惹かれてしまう

 もうSNSとかでも散々指摘されてるから今さら僕が言うのも野暮かもしれんが、この映画の綾野剛はヤクザだ。ただの気のいいあんちゃんではない。全然人とかも殺してるだろうし、基本的に聡実くんが関わっていいタイプの人ではない。

 ヤクザというのはもう、本当にシャレにならんぐらい恐ろしい人たちなのであって、それをなんだか「エモい」存在として消費してしまうのはあまりにもヤクザというものの実像に無関心すぎるのではないかと問題視する向きもある。

 だが、この映画が本当にコワイのは作り手がそのあたりの危うさに自覚的なところだ。

 ダッシュボードの小指をはじめとした「宇宙人」周りの描写を入れることで、「狂児は本質的には関わっちゃいけないタイプの人間ですよ」と観るもの(と聡実くん)を定期的に現実へ引き戻す作りになっている、もっと言えば「現実に戻るという選択肢」が何度も提示される。

 そのあたりの一線を引くだけの理性が残っていながら、自ら引いたその線を踏み越える豪胆さがたぶんこの映画のキモだ。


 聡実くんは別に、無理して狂児のカラオケに付き合う必要はなかったのだ。いや、そりゃあ初対面の状況ではやむを得なかった。ヤクザに逆らったらそれこそ殺されるかもしんないし。

 だが、2度目以降は断ち切るチャンスが何度もあった。

 クライマックスの合唱祭の当日だって、事件現場を見なかったフリして済ませることも充分できたはずだった。

 それでも聡実くんは狂児のそばにいることを選んだ。あまり彼に深入りしないほうがいいことはわかりきっていたはずなのに。

でも、そういう「深入りしないほうがいい人」ほど魅力的に感じてしまうのもまた人のサガと言えるだろう。

 ヤクザとマブダチな聡実くんとは比べるべくもないが、いちおう僕も一回り以上も歳上のアングラ業界人(女性)に片思いしたりしてたので気持ちはわかる。

 住んでる世界が違う相手を好きになっても上手くいくはずがないのだが(この場合の「上手くいく」というのは、必ずしも「相手と両思いになる」とかいう意味ではない)、破滅が目に見えていてもなおそこに頭から突っ込まずにはいられないのが慕情というもの。まさに人喰い沼。

そして、そんな沼にハマれるのは若者の特権でもある。とくに人付き合いに関しては、歳を取って分別がついてくるとどうしても保守的になってしまう。沼人(ぬまんちゅ)を無邪気に好きでいられるのは今だけなのだ。

本作は、そんな思春期の向こう見ずな憧れを瑞々しく描いており、そこが恐ろしいところでもある。

ドラえもんが帰ってきたら冷める

 まぁ、ここまであれこれ書いてきたわけだけど。

 僕は本作の結末についてはほんのちょっと不満がある。


 クライマックスで、狂児はふいに聡実の前から姿を消してしまう。

「その人、夢やったんちゃう?」

 映画を観る部の部長からはそう言われるが、聡実は納得できない。

 狂児にもう一度会うために、今まで彼と過ごした思い出の場所を巡る聡実。だが、どこにも狂児の姿はない。

 やはり、夢だったのか。

 かつてふたりで缶コーヒーを飲みながら語らったビルの屋上で、ひとり佇む聡実。しばし遠くを見つめたあと、突然なにかを思い出したようにカバンのポケットをあさる。

 出てきたのは、狂児からもらったくしゃくしゃの名刺だった。

「やっぱり本当にいたんだ」

聡実が呟き、エンドロールが流れる。


 ここまでで終わってればすっごく綺麗なオチだったと思うんだけど
、結局クレジットのあとのおまけシーンで狂児はフツーに聡実と電話で話しているのだった。

「聡実くん、カラオケ行こ」

・・・・・・んんんんんんーーーーー。

 本来は交わるはずのない聡実と狂児の人生は、「カラオケの練習」というとても細い糸一本だけで繋がっているものであり、狂児がカラオケにこだわる理由であった組長主催のカラオケ大会が終わった時点でその糸は切れているはずなのだ。

 本作で聡実と狂児の関係性はいわゆる「禁断の恋」というか、それこそ映画部の彼がいうようにいつかは醒める夢のようなものとして描かれいたはずだ。少なくとも僕にはそう見えた。

 だからこそ、狂児がいなくなった心の穴を聡実くんが自力で乗り越えていくことが大事なのかな、狂児との出会いと別れを通じて聡実くんが成長したっていう話なのかな、と思っていたんだけど。

 結局は現状維持のままで終わってしまって、なんだか僕としては「閉じた物語だな」という印象になった。

 ようは、『さようなら、ドラえもん』で綺麗に終わったと思ったのにその後すぐ『帰ってきたドラえもん』をやられてのび太の成長がキャンセルされてしまったような、ひとことで言うと「ちょっと冷めるな」と思ってしまった。

 

 念の為に言っておくと、「閉じた物語」が必ずしも悪いと思っているわけではない。あくまで個人の好みに過ぎないし、「聡実くんが出会いと別れを通じて成長する話なのかと思ってた」ってのも、僕が勝手にそう思っていただけだし。

 それに、原作の物語はまだ継続している(続編の『ファミレス行こ!』が連載中)ようだし、そっちも読んだらまた印象が変わるかもしれない。


 まぁでも、聡実くんはやっぱ立派だよ。好きな人のためにあんなにひたむきになれるのは。僕は日和って逃げてばっかりだから。



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