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灯す、光

 泡になって消えた人魚姫、あのラストに泣いた人や憤った人もたくさんいるだろう。

 羨ましい。

 そう思ってしまったわたしは、それを誰にも言えずにいた。心配されたり、望んでないアドバイスを受けたりするのは、もううんざり。病んでるとかなんとか、聞き飽きた。

「ちょっと待って、君…」
「…なにか?」

 夜の繁華街。確かに、子どもが出歩くには遅い時間帯。腕章をつけたその人は、声をかけたものの迷ってるようだった。

「未成年、だよね?」

 見回りの先生だろうか。自分の学校の生徒ではないんだから、放っておいてくれればいいのに。

「そうですけど…でも、遊んでるわけじゃなくて、ちょっとコンビニ行くだけなんで」
「あーそっか、ごめんね。うちの生徒でもないみたいだし」
「いーえ。大変ですね、頑張って」

 最後の頑張っては嫌味のつもりだった。だけど、にっこり笑ってありがとうと言われ、毒気を抜かれる。
 自分に向けられる無害な笑顔を見送って、めんどくさいな、なんて。大人になったら、あんな風にいなきゃいけないのか。どんなことにもにこにこ対応してさ、ため息でも吐こうものならなにが不満なのと怒られる。
 それでも、なんだかんだ生きていくんだろう。どうなりたくて生きてるとか、そんな目標もないわたしは、生死の概念も曖昧なままただ社会に浮かんで漂う。

「……なんちゃって」

 そっと息を吐く。深く浸透した思考は、誰のものなのか分からない。自分が考えて出した答えなんて、この世に存在するのかな。情報が溢れ過ぎて、どこかで聞いた誰かの意見を自分のものにしちゃったり。それが悪いことだとは思わない。だけど、個人は曖昧になる。
 ふと、視界の端でなにかが光るのが見えた気がして、それを探す。明るいこことは対照的に、少し離れると暗闇が広がっている。
 遠くを眺めることをしなくなったのは、いつだったのかな。小さなころは、遠くだけを見てた気がする。

「あ」

 見つけた光は、何度か点滅しては消えて、また点いては消えてを繰り返す。不規則な点滅を、不思議な気持ちで眺める。

「なんだろう、あれ」

 モールス信号?いや、まさか。だったとしても、わたしに意味は分からない。じっと見ていると、いつの間にかなくなったそれ。昼間なら、あそこに何があるのか、分かるかもしれない。

「今度、気分転換に行ってみようかな」

 受験勉強。底の見えない不安と葛藤で、押し潰されそうになっている自分が、なんだかちっぽけで。この世でひとりぼっちになってしまったような、そんな孤独は今までなくて。だからなのか、『泡になって消える』のが羨ましくて、そうなりたいと願ってしまう。
 コンビニから出て、来た道を戻る。帰り道はなんだか、めんどくさい。息抜きのつもりで出てきた買い出しなのに、自分の理不尽さに少し笑う。
 行きよりもちょっとだけゆっくり歩く。深呼吸を数回すると、落ち着いてくる。大丈夫だ、今やってることには間違いはないはず。ただ、やるべきことをやっていればいい。

「情緒不安定にはかわりないけど…っと」

 さっき光の点滅を見た辺りに、あの腕章をつけたどこかの先生が立っている。ちょうど、わたしがしてたみたいに一点を見つめて。

「なにか、見えます?」
「えっ…あぁ、君か。いや、さっきなにか光ったんだ」
「わたしも見ました。点滅してて、モールス信号みたいな」
「あ、確かに。僕にもそう見えた」
「あそこ、なにがあるんですかね」
「んーなんだろうなぁ。この辺、あまり詳しくないから」
「ふーん。わたしも、普段ここあまり通らないからな」

 近くじゃないのか、受験勉強の息抜きに散歩がてらちょっと遠いコンビニに来たんだ、そんな会話を交わしながら、二人してすっかり不思議な光のことは忘れていた。

「受験か、数年前の話なのに、ずいぶん昔のように感じるな」
「ってことは、先生新卒?」
「そうだよ、やっと慣れてきたとこだよ」
「すごいなーわたし、社会人になる自信ないよ」
「僕だってなかったよ。そんなもの持つ暇もなく、時間なんて流れていくんだからって、今からの子を不安にさせるようなこと言っちゃいけないな」
「…いや、なんか安心した」
「そう?なら、いいけど。まぁ、君らが思ってるより僕らも大人じゃないんだよ」
「がんばってんだなぁ」

 なんだかんだ数十分、世間話のような身の上話をして、気を付けて帰りなさいよと見送られる。
 冷えた体を暖めるように、身をよじる。今日、出てきてよかったな、なんて。奇跡のような偶然を感じることが、まだできる。

「なんだ、わたし大丈夫じゃん」

 ポケットの中の携帯電話が振るえて、メールの受信を知らせる。画面を覗くと、これじゃない?というメッセージ。開くと、きれいな、とてもキラキラとした写真。

「キャンドルナイト…?」

 キャンドルの灯りで過ごす夜、か。なるほど、それが光の点滅に見えたのか。さっき別れたばかりの先生に、返信する。

ー次、これやろうよ
ー合格してたらね
ーがんばる!!

 

「それがお父さんとお母さんの馴れ初め?」
「そうだよ、なかなか運命的でしょ?」

 あのとき、どんな未来が待ってるかなんて、考えてもいなかった。今を生きるのに精一杯、どう生きるか、何を目標にするのか。なにも考えられなくて、ただただ浮かんでただけの自分を掬ってくれたのは、小さな出会い。
 人魚姫には、なれない。泡になって消えることも、できない。きっと今後も、羨ましく思う気持ちは消えない。大人になって、あのころは若かったななんて思うこともあるけど、培ってきたものに流されてしまわない気持ちもしっかり残ってる。

「ほら、電気消して」
「はーい」

 恒例行事になった、静かな夜。ゆっくり浸透していく暗闇に灯る光は、揺れている。まるでわたしの感情みたいに、ゆらゆらと。
 泡になって消えたい。できればそう、きれいな気持ちで。





 

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