ジャングル

血塗られし死闘! ベンダーミミック対バイオニンジャ

(※このテキストは、ニンジャ収穫祭にて発行された『ベンダーミミック合同』に寄稿したものです。少しだけ加筆修正済。)

 ——そいつは俺を待っていたのだ。
 

 雨上がりのジャングルにて、私は「それ」と遭遇した。まるで場違いな癖に、そこにいるのが当たり前のように佇んでいた。
 派手な蛍光緑色に塗装された直方体の筺体は全体的に薄汚れて、こびりついたホコリは雨でも洗い流しきれていない。表面には端々に赤い鉄錆が浮いている。

 バリキドリンク。タノシイドリンク。ザゼンドリンク。色とりどりの見本サンプル瓶はことごとく傾いて横倒しになっているものもあった。通常昼間でも煌々と光っているはずのランプも完全に切れてしまったらしく瞬きすらしない。当たり抽選用スロットマシンも同様だった。

 完全に死んでしまったベンダーマシン。最早、廃棄回収されることすらない忘れられた粗大ゴミ。
 だが、それは擬態だ。私にはそれが良く分かる。

 私の名はディスカバリー。ヨロシサンによって改造を施されたバイオニンジャだ。私に与えられた能力はヨロシサン製のバイオ生物が発する信号をニューロンでキャッチ出来るというもの。
 私のニューロン内のアンテナは確かにこの自動販売機からの信号を感じ取っていた。巨大な何かが狭い鉄のハコの中で身動ぎもせず潜んでいるイメージが浮かぶ。
 自動販売機に潜む巨大生物。それ即ちベンダーミミックと呼ばれるバイオ生物だ。

 私は世間に疎いので、ベンダーミミックが世間でどのように評されているかは良く知らない。ただの酔っぱらいの与太話だと言われているとも聞く。
 だがベンダーミミックは確かにここにいる。与太話の通り、自動販売機に潜んで獲物を今か今かと待ち構えているのだ。

 こんなモノは通常ならば放っておくべき案件だ。下手に手を出してもさしたる意味はない。だが、私はどうにもこの場を去り難く逡巡していた。その原因は——アレだ。

 自動販売機の紙幣投入口から数センチだけ、ペロンとはみ出ている紙片。あれは紛れもない万札だ。これ見よがしに、と見えてしまうのは私の邪推と言う奴なのだろうか。酷く蠱惑的にこちらを誘っているように感じる。

 たかが万札一枚に危険を晒す必要もない、と理性的な自分が言っている。だが、もう一人の打算的な自分は、万札一枚回収するくらいならば簡単なことだと、これもまた理性的に弁を並べる。

 ——良いから放っておいてさっさと隊に戻れ。「ブッダも触れねば呪わない」って言うだろう。
 ——俺はニンジャだぞ。たかがバイオ生物に遅れを取るもんか。それに……

 私は今ひどく空腹だった。昨日の昼から何も食べていない。私が所属しているサヴァイヴァー・ドージョーの食糧は実際尽きていて今も食べられるものを探している最中なのだ。あの万札があれば我が隊の食糧事情も好転するに違いなかった。私は、敢えて危険を犯すことにした。
 
 おもむろに万札を指でつまんで引っ張った瞬間、違和感を感じた。ひどく手応えがない。戸惑いながら手元をまじまじと凝視する。……やられた。
 それは、端から数センチだけ千切られた万札の切れ端だった。

「MYUCHUCHU!!」

 刹那、紙幣投入口から飛び出す細い無数の触手! 反射的に手を引いたが一瞬遅かった。クラゲめいた触手が指先に巻き付き、激痛が走る。慌てて引き千切ったが吹き出す体液に触れると焼けるような感覚が走った。皮膚が溶かされている!

「イテェーッ! チクショウ!!」

 指先の激痛と一杯食わされた怒りで頭に血が昇ってしまった。さっさと距離を取れば良かったものを力一杯自動販売機を蹴りつける。途端、ニューロンがざわついた。自動販売機内から発される信号の種類が変わる。これは……怒りの、苛立ちのパルスだ。

 瞬間、視界が真っ黒になった。真っ暗ではない。黒色に染まったのだ。同時に両眼が焼け付くような激痛に襲われる。

「グワーッ!?」

 慌てて必死に両眼を手の甲で擦る。ねっとりと濡れた感触があり、擦った手の甲の皮膚にもピリピリとした痛みが走る。墨のようなものを目に吹き掛けられたのか? 分からない。何も見えない。私はパニックに陥り掛ける。両眼からぼろぼろと涙を零し、闇雲に片手を振り回しながらとにかく後退しようとする。

「MYYYYYYYYY!!」

 だが、そいつは獲物の逃走は許さぬと言わんばかりに威嚇の声を上げた。私の手足に紐状の何か(触手だろう)が巻き付き締め付ける。クラゲめいた刺胞が皮膚に食い込んで痛みを呼んだ。

「グワーッ!?」
「MYMYMYAAAA!!」

 ベンダーミミックは耳障りな金切り声を上げながら触手で私の腕や下肢を締め上げて苛む。その膂力は驚異的なもので私は手足を引き千切られるのではないかと恐怖する。

 足元がズルッと滑った。触手が私を引き寄せている。必死に踏ん張って堪えるが足場が悪かった。湿った地面はあまりにも頼りなく、じわじわと引きずられてしまう。新たな触手が手足に巻き付いて来た。喰われる。このままでは喰われてしまう!

 死の恐怖に瀕してニューロンは加速し、体感時間が泥めいて遅くなった。私はゆっくりと流れる時間の中で必死に藻掻きながら、思考の何処かでは愚かな自分を皮肉げに眺めている。

 ——馬鹿な俺。
 ——欲をかいた結果がこれか。
 ——いつもハイドラの浅慮を馬鹿にしている癖に。
 ——大将もきっと呆れ返るだろう。

 我が隊の仲間や隊長の姿がニューロンに浮かび上がっては消える。過去の記憶が次々に流れて来ては過ぎ去って行く。ソーマト・リコール現象と言う奴だ。

 ——ベンダーミミックは、決して侮れぬ力を持つバイオ生物だ。だが、いたずらに恐れる程でもない。

 滑稽なほど重々しい声が聴こえる。サワタリ隊長のものだ。これは、以前私がベンダーミミックをバイオ探知によって発見したときの記憶だろう。
 隊長はたった一撃、自動販売機の外側から山刀で急所を突き刺すだけでそいつを仕留めてしまったのだ。

 その後、自動販売機を解体して巨大な頭足類を引きずり出した。そして、ぐにゃぐにゃの身体からどろどろの内臓を取り除き、酒で洗ってクサミを抜き、食べ易く刻んで串に刺し、直火で焼いてケバブにした。全て隊長の手によるもので、味付けは甘辛ショーユダレだ。

 隊員全員で食ったがケミカル臭が強く正直旨くはなかった。だが、量だけは有り、ちょうどその頃も食糧が尽きかけた頃だったので皆から文句は出なかった。
 そして、私は隊長の手際の良さに驚嘆したものだ……。

 ……アア……アア。チクショウ。こんな記憶何の役にも立ちはしない!!

 私は我に返る。忘我していたのはほんの僅かな時間だったようだが、足の爪先が自動販売機の下部分に付いている。そこまで引き寄せられたのか。触手の数は更に増えて胴体や頭や首にまで巻き付こうとしていた。このままでは!

「MMMYYYYYYY……」
「チクショウ! こんなことで! こんなところで!!」

 私は自分を鼓舞するように叫ぶ。渾身の力を込めて触手を握り締め、引っ張った。途端に刺胞が掌に食い込んだが痛みなど構っていられない。触手は強靭でまるでゴムめいて幾らでも伸びるようだ。だが私は諦めなかった。諦めればここで死ぬだけだ。歯を食い縛り力の限り引っ張り続ける。

 ブチ、ブチッと触手の組織が引き千切れる音が聴こえる。溢れ出るどろりとした体液が手に触れると別種の焼ける痛みが私を苛む。だが、離しはしない。

「ふざけるなよ! こんなアホらしいことで死んでたまるかよ!」

 次々に……と言うほど手際は良くなかったが、とにかく私は粘り強く触手を一本一本引き千切って行く。ベンダーミミックは怒り狂った様子で墨を吐き散らし、触手を振り回していた。まるでカイジュウ映画で軍隊に攻撃されて狂乱するカイジュウのように。獲物に反撃されることなど信じ難いと言いたげだ。

 だが、私は最早目を瞑っている。顔に墨や酸性の体液を浴びても動じず、ただひたすらに、顔や首を狙って纏わりついて来る触手を掴んで、握り締め、引いて、千切った。メンポを着けていて良かったと心底思った。

 掌の痛みは既に麻痺していたが、触手を握り締めるたびに何やらズルズルドロドロした感触がして、一体皮膚がどうなっているのか認識するのが恐ろしい。
 恐れを呑み込み、ただひたすらに触手を千切り続けた。とにかく手の動く限りやってやろうと考えていた。

「MYCCCCCYYYYYY!!」

 何度目かの鼓膜を刺すような威嚇音。だが、それはどうやら怯えから来るもののようだった。ベンダーミミックが発する信号の種類がまた変化している。手足に巻きついていた触手が解けてズルズルと商品取り出し口に戻って行く。(この時点で私の視界は僅かに回復していた)
 そして飛び出したままの何本もの触手で自動販売機を引き摺って移動し始めた。

「待てよ、今更、逃げようってのか!?」

 ハッタリめいて凄んではみたが、追撃する余裕などなかった。油断なくカラテを構えながら、触手を生やした自動販売機がのそのそと必死に逃げて行くのを見送る。それは奇妙にユーモラスな上にシュールな光景でひどく力が抜けた。その時だ。

「ジェロニモ!!」
「MYYYAAAAAAAA!!」

 私は、自動販売機が蹴りの一撃で横倒しにされ、その筺体の上に迷彩模様の装束を着た編笠の男が立つのを見た。……フォレスト・サワタリ隊長だ。

「サイゴン!!」

 隊長はマチェーテを抜くと逆手に構え、ベンダーミミックの鉄の外殻を深く刺し貫いた。触手がざわざわと蠢いて暴れ狂い、ジゴクめいた断末魔が十数秒響いて静かになる。
 それが、そいつの命の仕舞いだった。

「ディスカバリー、貴様、負傷したのか」
「あ……アア」

 私は何とか頷いて、そしてその場に尻餅をついてしまった。隊長は傍に来ると速やかに私の目や掌の状態を確認する。呼吸が苦しくてメンポも外して貰った。

「……ウム。大したことはない。直ぐ治る傷だ。待っておれ。手当をする」

 その言葉が真実なのか、私を安心させるための隊長の気遣いなのかは良く分からなかった。そうか治ると良いがなァ、と他人事のようにぼんやり考えていた。

「なかなか大きなベンダーミミックだ。有り難い。喜べディスカバリー。今日の晩飯はイカケバブだぞ」

 ……隊長に悪気はなかったのだろう。それは当然そうだと思う。つまり、周囲に漂うベンダーミミックの体液の臭いが悪かったのだ。バイオ生物の体液を大量に浴びた私の身体からは、甘いドリンク剤めいた強いケミカル臭が漂っている。奴は、自動販売機のドリンクを愛飲していたのだろうか?

 隊長の言葉を聞いた私は、ベンダーミミックの味を思い出し、胃が裏返って吐き気を催すのを感じた。……吐いた。空っぽの胃から酸っぱいものを吐き出しながら、遠くで仲間達が隊長や私の名を口々に呼んでいるのを聞いている。

 無言で隊長の掌が私の背中をさすってくれていた。


【了】

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