見出し画像

【エッセイ】突然思い立って書いたエッセイ

エッセイを書きたくなった。

これまでそんなにエッセイを読んできたわけではないのに、突然そんな気になったのは、間違いなく松浦弥太郎さんの「エッセイストのように生きる」を読んだからだ。

読み進めていくうちに付箋だらけになるくらい素敵な本で、次の一文と出会った時にふと「自分はどうだろうか」と考えてしまった。

「僕は、自分のコンセプトを実現するために今日という一日がある、というふうにとらえています。」

松浦弥太郎『エッセイストのように生きる』 (P58)

少しの間、実現したいと思えるコンセプトが自分にはあるのだろうかと考えてみても、明言できるようなものは見つからなかった。

そこで、このエッセイを書きながら、2024年3月時点での「実現したい自分のコンセプト」を探っていくことにした。

「自分のコンセプト」を言い換えると、自分の根底にある思想や理念ということなり、さらにそこに「実現したい」という言葉が加わるとことで、見つけ出すべきことは結局「どういう人間になりたいのか」ということになるような気がした。

これまで「どんな職業に就きたいのか?」「どんな会社に入りたいのか?」と聞かれたことはあっても、「どんな人間になりたいの?」とは聞かれたことはなかったように思う。おまけに身近な人たちの「こんな人間になりたい」という声にもあまり注意深く耳を傾けてこなかったような気がする。だからそれっぽい解答というのも全く思い浮かばない。

というわけで、「どんな人間になりたいのか?」という問いに対して、真っ白な気持ちで向き合っていくことにする。

とりあえず、自分が好きなことを探るために、日々の暮らしの中で仕事と睡眠や食事など生きていくための必要な時間を除いた残りの時間で、何をしているかを考えてみる。朝に家を出て仕事前に1時間ほど読書をして、寝る前にも読書をするような生活を送っているので、1日の自由時間の中で読書が占めている割合は大きいと思う。次に、こうして何かを書く時間もある。なんならこの書くという時間は、もっと作っていきたいと思っている。

読むことと書くことだけは、この先も続けていくことになるだろうし、今のところ自分の軸となる部分になりそうな気もしている。というのも、読書も執筆も人に言われてやっているわけでもなく、お金になるわけでもない。それに読書と執筆はお金がなくても続けることができる。こうやって書いている間に、なんだか読書と執筆は、一生続けていくこととして最適な気がする。

ただ「読書と執筆」は「やりたいこと」であって、「どんな人間になりたいか?」という問いの答えにはなっていない。
それでは、やりたいことである「読書と執筆」を続けた先にどんな人間になっているのかを想像してみることにする。

それはきっときちんと考えることができ、その上表現して誰かに伝えられる人間なのではないかと思う。

小説を読むということは、登場人物たちの考えを一度は受け入れ、嬉しい気持ちになることもあれば、腹を立てることもあり、痛みを想像し苦しくなったり、新たな価値観に触れにいくようなことだと思う。もちろんそれ以外に目的がないわけではない。そして、メモなり感想を書きながら自分の感情や考え咀嚼し、自分と向き合うような積極的で能動的な読書体験でもある。これらの感情や情報を整理するためにも本について書くということが大切で、読んでいる最中の瞬間的な感情だけでなく、読み終えてから冷静になってゆっくりと小説について考えるためにも書く時間は有効なのではないかと思う。

そうやって読むことと書くことの時間を積み重ねていくことで、自分の人生は豊かになるのではないかと思う。というわけで、ひとまず2024年3月時点での自分がなりたい人間は、「自分の頭で考え抜いたことを表現できる人間」ということにしておく。

ただ考えるだけでは足りなくて、「考え抜く」というのが大切なのだろう。何か一つのこと、それこそ「どんな人間になりたいのか?」ということをじっくりと考えられる人間がなんかカッコいい気がする。ここまで色々と書いてきて、考えることはできていても、まだまだ考え抜くレベルには到達していないなという確かな手応えはあった。

そういった意味で久しぶりに書いた今回のエッセイは、スタート地点として悪くないかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?