第9話 腹膜播種

次の試練がやってくるのは早かった…


翌年2010年初秋、検査で腹膜播種が見つかった。この時のO先生の慌てぶりから事の重大さを悟った。

診察室でO先生はCTの画像を凝視し、検査室とかあちこちに電話して、

「MRIの予約がうちの病院だとすぐに取れないので、ここへ行って至急MRIを撮ってきてください。ちょっと高いけど緊急ですから。
腹膜に転移してます。
腹膜播種です」

え?何それ?腹膜播種って?

最初聞いたときは、そんな感じだった。

夫にもすぐ電話をして「腹膜播種」であることを伝えた。

腹膜播種という言葉をすぐに検索してみると出てくるのは悲観的な状態ばかりであった。
「内臓を包んでいる腹膜にガン細胞が散らばってしまった状態」
ここに転移してしまうと、ほぼ、絶望的であることを知った。

その日の夜、どんな会話をしたんだっけ…だけど希望を捨てるような悲観的な雰囲気ではなかったと思う。
たぶん夫はカラ元気でもいつものように
「大丈夫だよ、あっこなら絶対大丈夫だよ」
と言ってくれてたんだと思う。

翌日、新宿西口にある検査専門のクリニックへ事務所から自転車で向かった時のことを鮮明に覚えてる。

まだ夏の日差しが残る抜けるような秋の青空だった。

あー今日も世界は美しいんだな、私がこの世からいなくなってもこの美しい世界はそのまま毎日美しくここにあるんだろうなぁ、そんな事を思ったのを覚えてる。

ものすごく精密なMRI撮影で呼吸を止める時間も長く絶対に動かないでくださいと何度も強く言われた。撮影した画像は自分で持ち帰ったのか、病院へ送られたのか、覚えていないけれど、検査技師の方々の視線が私を哀れむように感じられ、やはり大変な事態なのだと再認識した。


数日後の診察には夫も付き添ってくれた。

いよいよ余命宣告を受けるかもしれないわけだから…

ところがO先生から
「幸いにもガン細胞が一箇所に集中しているので手術してみましょう」
と、希望にあふれた言葉が伝えられた。

抗ガン剤を投与しても効果は低いそうで、一か八かトライしてみたい、しかし、もし実際にお腹を開けてみて転移の範囲が広い場合はすぐに閉じてしまう、とのことだった。
そして取り除けない確率の方がかなり高いことも伝えられた。


しかし、私たちは

「手術してください」

と即答し、手術日は12月の始めに決まった。

また不謹慎にも、年末にライブがあるけれど、この日程なら間に合う、と思ってしまった事を覚えてる…今度こそ死んでしまうかもしれないというのに。

我ながら、脳天気すぎる、と苦笑してしまったほどだ。

しかし、この日から私たち夫婦は真剣に、
生きること、死ぬこと、出逢いと別れ、家族、人生、時間、生き甲斐・・・
様々なことを考えながら、1日を惜しむように暮らした。
夫は私が先に旅立つことを受け止めようとしていただろうか…

手術までの間、ちょうど夫の誕生日頃に休みを取って二人で伊勢神宮を参拝した。

伊勢神宮には一本の木にも、川の水にも、石ころにも、すべてに氣がやどっているのを感じられた。それは私たちを見守るわけでも包み込むわけでもなく、太古より、そこに存在して、生きとし生けるものたちを淡々と見つづけてきているのだ。

「病気を治してください」

などど個人的なことでお参りするのが憚れる気がして、

「お参りさせていただきありがとうございます。」

ただ感謝の気持ちをもち参拝するのが相応しい気がした。


レンタル自転車を借りて、主だった神社を全てお参りした。
二人で並んでお参りしてるとき、夫はどんな気持ちだったのだろうか。

「絶対大丈夫だよ」

それが夫の口癖のようになっていたけれど、それを言うたびにどんな思いだったのだろうか…
心が挫けてしまいそうだったんだろうなぁ…

「あっこ、この御神木に抱きついてパワーを分けてもらえ!」

何本もの大きな木々たちに抱きついて目を閉じて祈った。

あの時も、空は青く空気は澄み渡り、世界はとても美しいかった。

「こんな美しい世界に生まれ、この人に出逢い家族になれて本当に幸せです、ありがとうございます」

と、神様に感謝した。

そして、

「もう少しだけこの世に、この人と一緒に生きさせてください」

と祈った。

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