第16話 夢の続き
あの坂道を下り、左に曲がるとその店はある。
はるか遠くの、薄い靄がかかったような記憶の中、そのことだけが鮮明に残っていた。
しかし、さっきから何度も何度も同じ坂道を下り左に曲がってみるのだけれど、そこへたどり着けない。
秋の終わりの夕暮れは駆け足で影を長くしていく。後ろから受ける夕日に長く伸びた私の影を踏みながら、ただただ、その坂を下り左に折れまた同じ道を戻ることを繰り返している。
生まれたばかりの三日月が、濃紺へ続くグラデーションの空に浮かび上がる頃、私の影は闇の中に吸い込まれるように消えていった。
目印を失った私は曲がり角の手前で立ち止まった。
目を閉じて深呼吸してみると、今度はそこに行きつけるという漠然とした温かい安心感に包まれた。
柔らかい涼風がスカーフを揺らした。
風に押されるようにその角を左に曲がると、さっきまでと景色が変わっていた。
懐かしいあの風景、何度も何度も通った石畳の小さな坂道、大きな桜の木の色づいた葉たちが風に誘われて舞う。
坂道の先にあたたかいオレンジ色の光がぼんやり浮かび、その店の真鍮の看板を照らしていた。
窓ガラス越しの幾層もの光の筋が闇に伸びている。
心臓が高鳴った。
ゆっくり歩を進めると、笑い声と音楽が近付いてくる。少し離れたところからその音を聴いていると、このまま引き返した方が良いのではないかと不安がよぎった。
店の中の様子を見たい気持ちと見てはいけないのではないかという思いのせめぎ合いを見つめ、大きな決心するように窓ガラス越しに中の様子をうかがう。
そこには彼がいた。
大勢の見知らぬ人たちに囲まれている。何か話しては大きく笑い、グラスを傾けている。
古いブルースに合わせてリズムを取ったり、歌っている人もいる。
やっぱりここにいたんだね。
顔がほころんでいくのがわかる。
とびきりの笑顔でお店に入ろう、背筋を伸ばし入り口を探す。
しかし、どこにもドアが見当たらない。はめ殺しの大きな窓ガラスは切れ目なく店全体を覆っている。
窓ガラスの前に立っているのに誰も私の存在に気がついてくれない。
入れてください!
窓ガラスを叩いて叫ぶ。しかし、誰も気がついてくれない・・・
頬を伝う涙で目覚めた。
夢だった。
似たような夢をよく見る。
2015年1月30日、夫は突然この世を去った。
脳幹出血だった。
それからの私の日々はしばらくヨガの教えも届かないほどの苦悩が続いた。
なぜ、がん患者の私ではないのか?
2年後の生存率10%と言われていた私ではないのか?
健康診断でも何も問題がなかった夫がなぜこんなことにならなくてはいけないのか?
そして自分が生きていることを、申し訳なく思った。
本当に突然のことだったので、色々、本当に色々なことをやらなくてはいけなくてしばらくの間は悲しみ寝込んでしまう暇もなかった。
とは言っても、当時の記憶が半年ほどひどく曖昧で、あまり覚えていない。
検査結果や血液検査の用紙を見ると、その年の4月のCT検査で右肺中葉に約1センチの腫瘍、左肺にもうっすらと影が見つかっている。その時の率直な気持ちは「よかった、これで私も逝ける」
だったと思う。
先生からも特に治療を勧められることなくとりあえず経過観察だったのだと思う。
しかし、全てに投げやりになりそうな気持ちの私は、
周りの人たちに支えられた。
周りの人たちに助けられた。
周りの人たちに救っていただいた。
ヨガのレッスンに通ってくださったり、バンド活動に誘っていただいたり、ご飯に誘ってくださったり、夫が学生の頃にぴあの映画賞を受賞した作品の上映会を開いてくださったり、ライブを計画してくださったり、いろんな形で、多くの人たちが私を見捨てず、手を差し伸べてくれた。
そんな日々の中、大切な私の周りの人たちに恩返しするには、
生きることでしか返せないと気付いた。
先生も半ば諦めていたのか特に手術や治療を勧められることもな買ったが、次の検査までの間、炭水化物抜き、断食、ココナッツオイルなど色々な代替療法を試してみることにした。ヨガの練習もそれまで以上に生活に取り入れ、瞑想も頻繁に行うようにした。
そしてその年の秋、次のCT検査で、右肺の腫瘍も左肺の影も何事もなかったかのように消えていたのだ。
これは代替療法の効果とかではなく、私の周りの人たちの優しく心温かな思いやりががんを消滅させたのだと信じている。
その後も2度ほど肺に影らしいものが写っていることはあったが、大事には至らず、毎日毎日を自分なりに精一杯生き、今に至っている。
2017年の春の検診で先生から
「まだ生きてましたね!最後の手術から6年経つんですね!すごいですよ!もう大丈夫かなぁ〜奇跡の患者さんだなぁ」
と言われたのだった。
今は半年ごとの血液検査と年に一度のCT検査と内視鏡を受けている。その度に先生から奇跡の患者だと褒めてもらうのだった。
あちらの世界がどうなっているのか、わからない。そもそもそんな世界などないのかもしれない。残された者の勝手な想像に過ぎないのかもしれない。
しかし、夫は苦しみや悲しみ痛みのないあちらの世界で、先に逝った人たちと、笑っているのだと思いたい。
そして、いつか、私もきっとその仲間に迎えられるのだと信じたい。
その日が待ち遠しくてたまらないんだ。
だけど、もう少し、私はこちらで私の大切な人たち、大好きな人たちと一緒に
今を生きていく。
夢の続きはまだ始まらないから。
完
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