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【脳動脈瘤手術】を終えて身に起きたことを全て書きました(1万文字記事)


2020年12月1日、脳動脈瘤手術を受けました。

手術内容については上の記事をご覧ください。
簡潔にいうと動脈瘤へのコイル術と、バイパス術の併用のものになります。

いつか普通に暮らせるのだろうか?頭のことを考えない日が来るのだろうか?
そんな不安と共に術後を過ごされている方、
もしくは今から手術を受ける方。
そんな方のために書きました。

手術後の症状を箇条書きすると
・手術後すぐのあれこれ
・過灌流症候群(かかんりゅう症候群)
・言葉が出なくなる
・身体の片側の痺れ
・歯、頬の痛み
・急性中耳炎
・幻聴
・円形脱毛症

などが起こった経緯、対処した方法、どのくらいの日に発症したかを
時系列で書いています。
加えて感じたことや状況など、日記のように書き上げました。

かなり長くなりましたが、良ければお読みください。



手術後 当日

手術から目覚めると、ICUに居ました。姉と父と母がそばに立っていて、
父が泣いている声が聞こえました。
姉に「頭から管出てるで!笑」って言われ、「へへへ!!笑」
って答えたことを覚えています。
コロナの影響もあり、家族はすぐにICUから出ていきました。
家族に元気な姿を見せられてホッとしたのか
すぐ眠りについたことを記憶しています。

過去に何度か手術というものを経験したことのある
あたしの想像では、このあとぐっすり眠って朝になるというものだったのですが、
こっからが本当に辛かったです。

すぐに目覚め、身体中が痛いことに気付きました。
その時あたしに取り付けられていたものは、

・両手の甲に点滴
・右腕に血圧計
・心電図
・頭に管(頭蓋骨と皮膚の間に溜まる血液を取り出すためのもの)
・尿道カテーテル(膀胱に直接管を入れ尿が溜まれば自動的に排泄される)
・骨盤を固定するもの(脚を固定するため)

特に痛かったのは腕でした。頭の痛みはほとんどなく、腕が痛いことに驚きました。
看護師さんに聞いたら、長時間の手術で(あたしは10時間でした)固定されていると
痛みが出るそうです。

ICUの中は、カーテン一枚隔てて隣に他の患者がいます。
痛みで眠りにつけない間も、目に見えるものはハッキリしていて、
耳もよく聞こえました。
隣から定期的に嘔吐のような音が聞こえました。けれどそれは看護師さんが
「頑張れ!」と言いながら水を含ませる音がして、その後嘔吐の音がしたので、必要な治療のようでした。
その患者さんは話せないのか、小さくうめき声が聞こえるだけでした。
カーテン越しに想像される光景に、痛々しさと恐怖が募りました。
自分がそんな状態になったらどうしようなんて考えました。

あたしの身体は仰向けのままグッタリとしていたのですが、ジッとしてても
痛く、少し動かすと激痛でした。それでもウトウトと眠れる時間はありましたが、
血圧と体温チェック、そして体勢を変えるために看護師さんが何度も来てくれました。
正直、痛みが耐え難く、眠りたいというのが本望だったあたしにとっては、
その度に目覚めてしまうのが苦痛でした。

ほとんど眠れないまま朝を迎えました。



手術後1日目

ICUには時計も窓も無いので、朝が来たことは電気がついたことで知りました。
正確には覚えてないですが、この辺りで脚の固定が外されたような記憶です。

9時頃、お医者さんが来てMRIとCT検査をするということでベッドのまま検査室に運ばれました。
術後、経過に問題が無いか調べるものでした。

病院の廊下を運ばれながら、時々ある鏡に映る自分を見て驚きました。
頭にぐるぐるに包帯が巻かれてるか、コルセットのようなものが付けられてると思ってたのですが、
何も付けられていなく、そのまま髪が見えました。
頭にはそういう締め付けられてるような感覚があったのと、管が出ていると言われていたので、
何かあるんだと思ってたのです。そこからどう首を動かしていいか分からなってしまいました。

検査の結果は良好。
ICUに戻り、頭の管を抜きました。手術前からこれに一番びびってたんですが、全く痛くなかったです。
今思うと、頭蓋骨を開けたあたりの皮膚感覚が無かったんだと思います。これを書いてる今でも
切った付近は感覚が鈍いです。その後ホッチキスみたいなので皮膚を繋ぐのですが、それも痛みはゼロでした。

身体についていたものが外されるというのは、回復に向かっているようでとても嬉しかったです。

しかし、数時間後、左腕の点滴を外すとのことで、先生が針を抜いている時に、
手術でカテーテルを通した右足の付け根に激痛が走ったんです。
ドクン、ドクン、と脈打つように。思わず「痛い!!!」と叫んでしまいました。
先生がすぐに診てくれると、カテーテルを刺した部分が内出血を起こしていました。
「このまま15分止血します。」と15分間ずっと付け根を力強く押されていたことを覚えています。
あたしは痛みと、突然こんな激痛が走ることがあるのかという恐怖を覚えました。
再び脚の固定を行うこととなり、さらに12時間の寝返りの禁止が決まりました。

すっかり不安になってしまったあたしは、その日担当してくれた看護師さんに
手を握っててくださいとお願いしました。絶対に忙しいはずなのに、看護師さんはあたしが
落ち着くまで手を握ってそばにいてくれました。
右手には常にナースコールを握りしめていました。首を動かしナースコールがどこにあるかを確認することも
できなかったあたしにとって、それはお守りのようでした。

夕方頃になり、身体中の痛みと不安とでどうにかなりそうだったあたしは
先生に「眠らせてください」とお願いしました。先生は「では薬を足しますね」と言い、
点滴から何か薬を入れてくれたみたいで、次に目を開けた頃にはICUは消灯していました。
目覚めてからは前日と同じでまた眠れない夜を過ごしました。



手術後2日目


朝になり、お昼過ぎに普通の病棟に戻りますと告げられました。
かなり汗をかいていたようで、一度着替えましょう!と、完全に動けないまま看護師さんが二人がかりで
着替えさせてくれたことを覚えています。パンツも履き替えさせてくれました。

10時頃になり、安静度のレベルが下がったと告げられ、ベッドの背中の角度を20度まで上げていいことになりました。
そこで初めて水を飲んだことを覚えています。ストローで看護師さんが飲ませてくれました。
唇の皮がとても荒れていたので、口を拭いて薬を塗ってもらったのも覚えています。とてもスッキリしました。

驚いたのが、お昼ご飯が出てきたことです。しかも普通食でした。
無理無理無理と思ったのですが、少しでも!とゼリーを口に入れてくれたことを覚えています。
さらにここから薬を飲んでください、と寝たまま薬を飲みました。

前日の脚の付け根の内出血がなければ、とっくに起き上がっていい段階だったらしく、
起き上がること以外の全てをやってみよう!みたいな感じでした。

お昼ご飯を終えると「病棟にいきましょう!」とのことで、ベッドごと移動しました。
手術前1ヶ月入院していた私にとっては、見慣れた看護師さんがいること、見慣れた景色があることに
安心し、看護師さんに「帰ってこれてよかったー!」と言ってもらった時には涙が出てきました。

病棟では個室に入りました。ICUでカーテンを隔てて看護師さんがいるという状況に安心していた私は
はじめ大部屋がいいと言っていたのですが、トイレの訓練も考えると個室がいいと思うよ!と説得され、個室になりました。
結果、とてもよかったと思います。

看護師さんが携帯をそばに置いてくれて、手術後初めて携帯を触りました。
たくさん連絡をもらってましたが、ゆっくり読むのはしんどくて、それでも数人に無事ですと送りました。

夕方頃、便意を感じ、看護師さんに伝えました。早く歩いてトイレに行きたい、尿道カテーテルを抜きたいと、それを一種の目標にしていた
私にとっては、寝ながらできるトイレに抵抗があり、できませんでした。
看護師さんに「起き上がってみよっか!」と言われ、支えられながら初めてベッドに起き上がったのですが、すぐにクラクラと貧血のような状態になり
寝てしまいました。そうしているうちに便意はどこかに行き、トイレは諦めました。
まだ起き上がることもできないのか・・・というのがショックでした。

夕食の時間になり、また看護師さんにゼリーだけ食べさせてもらいました。
ゼリーの半分だけ食べれて、とても嬉しかったことを覚えています。お昼は一口が限界だったので。

その後また便意がきて、看護師さんを呼びました。簡易便器というものを持ってきてくれて(便器の形をした椅子。穴にビニール袋が付けられて、そこでそのまましていいというもの)、起き上がって移動してここにしてみる?と提案してくれました。
起き上がり、看護師さんに運んでもらうような形でその椅子に移動したのですが、少し時間が立つだけで貧血になりまたベッドに戻りました。
しかしまたすぐ便意がきて、「もう一回頑張ってみよう!」と言ってもらい、再び挑戦すると排泄ができました。
できた!という感覚がとても嬉しかったし、看護師さんがとても喜んでくれたことを覚えています。
後始末させて申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。羞恥心もありました。しかし慣れた手つきですぐに片付けてくれた看護師の方に
救われました。

その後、立って歩いてトイレに行く(トイレは部屋の中に設置されていたので、すぐ近くでした)ということにも挑戦したのですが、途中で貧血になり行けませんでした。

夜になってもやはり身体の痛みが取れず、しんどくて不安に過ごしてると、両腕両足に痺れを感じました。痺れたらすぐに教えてくださいと言われてたので、
とても怖くなりすぐにナースコール。不安で過呼吸のような状態になり、お医者さんがきてくれると心配ないとのことでしたが、
心が弱ってたあたしは看護師さんにまた手を握ってもらいました。するとストンと眠りに落ちていたようで、
気がつくと部屋は消灯していました。
その後も何度も目覚めながらですが、眠りにつきました。


手術後3日目

朝すぐに便意を感じ、看護師さんを呼びました。あまり知らない看護師さんで、羞恥心があり、トイレまで歩いて行きたいと伝え、支えてもらいながらトイレに行ました。トイレできちんと排泄できました。なぜ急にできるようになったのかは謎でしたが、とても嬉しくて、
その後もう一度トイレに歩いていけたことで、尿道カテーテルを外すことになりました。
本当にこれが外せたことが一番嬉しかったです・・・!

朝ごはんが出てきて、おかゆを食べてみました。ほんの少しだけでしたが、食べれて嬉しくて少し涙が出たのを覚えています。
手術の際、耳のすぐ上あたりから切っていたので、口を大きく開けることができず、おかずは痛くて食べられませんでした。

この日は父と母がお見舞いに来てくれる予定でした。
その後お昼過ぎになり、看護師さんが「お風呂に入ってみましょう!」とシャワー室に連れて行ってくれました。
立てるようになるとなんか早いなー!と嬉しかったです。
基本的にあたしは座ったままで、椅子に座り服を脱ぎ、お風呂の中でも椅子に座り看護師さんに頭を洗ってもらいました。
痛みは全然なかったです。身体は自分で洗いました。

スッキリして病室に戻ると、父と母が来ていました。コロナのため面会は10分程度と決まっていて、
父に、「元気そうでよかった!顔すごい腫れてるなぁ」と言われ、
それまでまともに鏡を見ていなかったのですが、初めて鏡をみるとお岩さんのように腫れていました。
特に目元が腫れていたのですが、先生曰く、この腫れはどんどん下に下がっていって、最終的には首元が少し腫れて消えると説明を受けました。

この日の夜に、とてもショッキングなことがありました。
歩けるようになったと言えど、変わらない身体の痛みもあり、何かあれば看護師さんにお願いしていました。
消灯後、様子を見に来てくれた看護師さんに「部屋の電気をつけていて欲しい」とお願いしようとしたところ
言葉が全く出なくなったのです。「へい、で、つこていてほりい」みたいな言葉しか口からでず、
看護師さんには伝わりませんでしたが、急に話せなくなったあたしに対して看護師さんは焦ることもなく笑顔で対応してくれました。
結局伝わらないまま看護師さんは退室したのですが、自分でしばらく黙って時間を過ごし、落ち着いて同じ言葉を言うと、言えました。
なんだったんだろう??と思ったのですが、その後知人と電話をしてみると、スラスラとうまく話せました。
なので、気にしないことにしました。


手術後4日目

朝ごはんを少し食べ、薬をのみ、そのまま寝て、お昼ご飯を食べる。
ここからはこんな毎日が続きました。
この日のお昼ご飯からお粥から普通の白米に変わりました。

母がお見舞いに来てくれのですが、昨日より目の腫れがマシになってると話してくれました。

この日は、自分が出演する予定だったライブイベントがあり、配信でも見れたので夜ご飯のあと見ていました。
全部で3組の出演だったのですが、見ながらも常に朦朧としていて、終わった後すぐに眠りました。

手術してからずっとなのですが、寝てもすぐに目覚めるし、悪夢ばっかりみるようになっていました。
今まで見たことのないようなグロテスクなものばかりで、脳の手術をするっていうのはこういうことなのかな?
と思っています。後に大部屋に移り、手術を終えた人の話を聞いても、眠れなくて眠剤を飲んでる人もとても多かったです。

あたしはこの日人生で初めて眠剤をもらいました。4時間だけでしたが、ぐっすりと眠れ、寝起きもしんどくなかったです。
今のところ眠剤を飲んだのはこの日が最初で最後でした。



手術後5日目

この日あたりから寝起きの頭痛がひどくなります。起きてすぐや真夜中に鎮痛剤を飲むことが増えました。
そして記憶が曖昧です。記憶している出来事だけ書いていきます。

まだ食事は全部食べれていなかったのですが、この日お昼ご飯に唐揚げが出てきて、嬉しくて全部食べたのか見事にお腹を壊しています。
お恥ずかしい・・・。



手術後6日目

お見舞いに来てくれた母が帰った後、部屋でリハビリがありました。
リハビリは手術前から行っており、言語、理学、作業の3種類があって、3人の先生がいました。
普段はリハビリ室まで行って行うのですが、術後すぐは部屋まで来てくれるようになっていました。

母が帰ってすぐに言語療法の先生が来てくれたのですが、その時に忘れられないことが起きました。
言語テストみたいなのが始まった時、全く言葉が出なくなったのです。15分間だったのですが、ほぼ何も喋れず、
これはなんですか?と鉛筆のイラストを見せられても、それがなんて言うのか思い出せず、思い出せても言葉にならず、すぐに忘れてしまいました。
術後3日目の時と全く同じような現象になり、かなり落ち込みました。

しかし、話せなくなったのはその15分だけで、看護師さんには普通に話せるように戻りました。
医師に伝えると「普段喋れてるので大丈夫です!」と言う感じでした。
「今、手術後で、脳梗塞にならないように血流を良くするお薬飲んでるから、それのせいの可能性はあるけど、心配しなくて大丈夫!」とのことで、
でもあまり納得できず、いつ治るのか、そもそもこれは何??っていう疑問が生まれ、ネットで調べまくったのですが、あまり分からず・・・
ここからこの件について不安な日々が始まりました。


手術後7日目

お昼頃にCT検査がありました。経過は良好とのことで、夕方頃にずっと右手にしていた点滴が外されました。
これで術後からついてた全てのものが外されて、とても嬉しかったです。

看護師さんが付き添いでシャワーを浴びることになったのですが、一人でできそうやね!とほぼ一人でシャワーを浴びました。
手術後の頭を洗うのは初めてだったので、力加減が難しく、「痛っ!」みたいなことが何度かありました。
が、無事シャワーを浴びれて、この日から自分のパジャマを着ていいことになりました。

夕方頃母がお見舞いに来てくれたのですが、また言葉が出ないことがありました。母には事前に伝えていたので、あまり驚かなかったです。

その後も誰と話してもうまく話せていたのですが、夜寝る前に看護師さんと話していた時、また言葉が出なくなり、
その後お医者さんに診てもらいました。「てんかん」の疑いがあるとのことで、後日「脳波」の検査をすることになりました。



手術後8日目

朝から頭痛が激しく、目覚めて薬を飲んですぐにまた眠りました。
昨日は元気だったので、その分ショックでした。

夕方、脳波の検査を行いました。頭にたくさんの機械をつけて、質問に答えたり、指示された通りに行動したり、暗闇のなかで音を聞いたりしました。
全てベッドに寝たまま行いました。結果は後日出るとのことでした。

昨日、点滴も全て外れ、やっと自由だ!みたいな感覚だったのに1日中身体が怠くてゴロゴロして過ごしました。



手術後9日目

この日あたりからは体調が良くなったり悪かったりを繰り返します。
スッキリとしないのは、手術後約1ヶ月半続きました。

改めて言語のリハビリを行うと、何一つ問題なく行えました。
しかし、長文を読むと読解に時間がかかったり、自分が文章を作ってもとても時間がかかりました。
言葉が出なくなるというよりは、文字が理解できないという感覚が強かったような気がします。
頭の中でゲシュタルト崩壊するような・・・うまく説明できないのですが、短い単語を何度も読み返しました。



手術後10日目

謎の幻聴が突然始まりました。
頭の中でずっとF1レースの車が走るような音が近くなったり遠くなったり、リズムを一定で刻むような音がなったり、
シンセサイザーのようなピコピコ音が鳴ったり・・・。四六時中鳴っていてめちゃくちゃ不快でした。

この日は脳の血流の検査(SPECT)を行いました。

夕方、頭の皮膚の切り口を留めていたホッチキスを半分だけ取りました。
手術前からすごくビビってたんですが、本当に全く痛くなかったです!!
え?今抜けてます??って聞くくらい痛くなかったです。。。


夜、手足の痺れが急に現れ、緊急でMRIを撮りました。痺れが右側の手足のみだったこともあり、脳梗塞の疑いがありましたが、
MRIは問題ないということで、そのまま眠りました。

手術したらそれで元気になっていくだけ!と思っていたので、まだこんな死と直結するような不安があるのかと
不安で泣きました。
この頃かなり情緒不安定だった気がします。



手術後11日目

昨日の血流検査の結果が出て、
「過灌流症候群」であることが判明しました。

これは、脳に血液が流れすぎている状態で、バイパス手術後に起こることが多いらしいです。
言葉が出なくなるのも、痺れが出るのも、これが原因であると言われました!
手術から2,3週間で落ち着いてくると説明を受けました。
とても安心したし、嬉しかったです。まだ言葉が不自由だったので、信じようと思いました。

ただ、幻聴の原因はこれではないらしく、少し不安が残りましたが、ひとまず安心しました。


手術後13日目

頭のホッチキスを全て抜きました!耳の周りだけ糸だったので抜糸も。
ホッチキスより抜糸の方が痛かったですが、総じてどちらも痛くなかったです!

この日、急に胸が痛くなり緊急で心電図を撮ってもらいました。
問題ないということで、処方は何もなく終わりましたが、
また不安が募りました。
お医者さんに「ひどく不安だったりしますか?」と問診で聞かれたので、
精神的なものだったかもしれません。



手術後15日目

真夜中に咳が出はじめて、この日から3日間風邪薬(PL錠)を飲みました。

手術後初めて音楽が聞きたいと感じ、イヤホンをつけて音楽を聴きました。
デトックスするみたいに沢山泣きました!

調子が良く、病棟にある食堂で少しテレビを見て過ごし、
椅子に長時間座ることができただけでも、体力が少し戻ったなぁと感じました。



手術後18日目

引き続き幻聴は続いていました。この日は歯が1日中痛かったです。
原因はどちらもわかりませんでしたが、歯の痛みは鎮痛剤を飲んで1日寝たら治りました。



手術後19日目

この日はMー1グランプリで、食堂でテレビを見ていました。
2時間くらい経った時に、今まで感じたことない頭痛があり、
(ズキズキっとしては、2〜3分で治るような。。。)
時間が経つにつれて頭痛が起こる間隔が狭くなり、テレビは断念。

痛み止めをもらって眠りにつきました。


手術後20日目

朝起きると、左耳に水が入っているような違和感があり、かなり聞こえづらく、
片耳を塞いでいるような感覚でした。先生に相談し、耳鼻科を受診することに。

鼓膜の中に水が溜まっていて、注射を刺して水を抜くという治療を行いました。
人生でナンバーワンくらい痛かったです。麻酔なしでした・・・。
手術との関係があるかは分からないと言われたのですが、
鼻通りもよく鼓膜の内側に水が溜まることはまず通常ではありえないと説明を受けました。


手術後21日目

脳の血流検査(2回目)を受けました。
これで血流が落ち着いていて過灌流症候群が治っていれば退院と説明を受けていました。

1回目の検査の時よりははるかに体力も戻ってきてたし、言葉が出なくなることも無くなっていたので、いい結果なことを願いました!


手術後23日目

脳の血流検査の結果、過灌流症候群も治っているということで、明日退院と決まりました。
ただ、耳の水が再度溜まっており、
聞こえにくい状態と耳が痛いのが続いてました。
お医者さんには前回水を抜いたのでもう鼓膜から抜くことはできないと説明され、
痰切りのお薬をもらいました。
耳の水はあくびをしたら抜けていくと聞いたのですが、手術から一度もあくびをできてなかったのでそれも原因かなぁとのことでした。


手術後24日目(退院)

退院にあたって先生から今までの治療の結果と今後のお話があり、お父さんとともに聞きました。

耳に水が溜まっているのは、手術の影響とここで初めて聞かされました。
ただ、症状として出てくるには術後すぐの人の方が多いそうです。
2週間経って出てくるのは珍しいとのことでした。

そして今後の話が衝撃だったんですが
・夜中に仕事をしてもいいか(ライブハウス勤務なので)
・大きい音、眩しい光などは大丈夫か
・重い荷物を持ってもいいか

という質問に対して、全て『大丈夫です」との返答・・・!

・お酒はいつから飲んでいいですか?

という問いについては、「すぐでも大丈夫です。ただ、少量で・・・ビール2缶くらい」
との答えでびっくり。

髪の毛だけは染めるのは3ヶ月後でと言われました。

そんなこんなで無事退院できました!!
が、かなり体力もなく、耳の痛みも気になったのと、
なんせ入院中に心が弱り切ってたので、一人で生活するのは心細くとても無理で、
家族の元に身をおきました。


手術後27日目

一向に耳の調子が良くならないので、地元の耳鼻咽喉科に。
かなり詳しく説明してくださり、元々アレルギー体質なのも影響しているとのことで
アレルギーと鼻に噴射する薬を処方してもらいました。


手術後37日目

退院後初めて美容院に行きました!
5年ほど通っているお店で、仲の良い美容師さんに元気な姿を見せることができてとても嬉しかったです。
まだ染めることができないので、染めず・・・!
シャンプーは少し痛かったですが、大丈夫でした!
ただショッキングなことに一つ円形脱毛症ができていると教えられました・・・
後に先生に聞くと手術は関係ないらしく、ストレスかな?とのことでした。



手術後39日目

耳の違和感が治り、30歳の誕生日を迎えました!コロナ禍のため、どこに出かける予定もなかったですが、久しぶりにお化粧をして、ルンルンで過ごせました!
相変わらず疲れやすさは残ってましたが、
一人になることが不安だったり、眠りにつけなかったりということは無くなってきていました。



手術後50日目

病院に退院後の定期検診に行きました。
CT検査を行い、結果は問題なし。
お薬も減って、1日に2種類しか飲まなくて良くなりました。
円形脱毛症については、手術は全く関係ないとのことで、皮膚科を受診してくださいとのことでした!







長々と書いていきましたが、現在これを書き終えようとしているのが1月30日。
手術から2ヶ月が過ぎようとしています。

現在まだ仕事は行っておらず、コロナもあり家で過ごしています。
もしコロナじゃなければもう少しアクティブに動けたかもしれないですね。

洗濯、食事を作る、近くに買い物に行く、お風呂、などは問題なく行えます。

それでも術後40日目くらいまでは、お風呂に入ると急に貧血になって倒れたり、
少し力むだけで頭が痛かったり、スーパーに行くだけでしんどかったり、
特に日中は何をする気にもなれなくて、布団の中でゲームをして過ごしたりしていました。

今はこうして文章を書くことや、今後のことを考えたり、気になることを勉強したり、
やっと少し前までの自分に戻ってきたなぁという感覚です。


人生で初めて頭を開ける手術をして、想像もしていなかった色んな症状が自分の身に起こりました。その度にネットで調べるのですが、自分と同じような人がいるとホッとしたし、見つからないとずっと不安だったし、
私も経験談を書くことで、誰かにホッとしてもらえればなぁと感じましたので、
かなり長くなりましたが、事細かく書かせていただきました。


いつか普通に暮らせるのだろうか?頭のことを考えない日が来るのだろうか?
とずっと思っていましたが、
大丈夫です。私は2ヶ月経って、すごく楽になりました。
お伝えしたいです。励ましたいです。大丈夫。

私の経験談があなたのお役に立てれば幸いです。
御朗読ありがとうございました。


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