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認知症看護道への入り口


今年は本当に暑いですね…
目を止めて頂いた皆様。初めまして。オレンジです。
私は都内の急性期病院に勤務しています、
認知症看護特定認定看護師です。
私は仕事ばかりをして過ごしてきましたので、何の取り柄もない看護馬鹿なのですが、真面目に向き合ってきた分、それでもよかったと思える部分も
大きいのです。

さて、わたしの勤める病棟は、HCUも含んでおり、脳神経外科、脳神経内科、泌尿器科、救命センターの後方ベットという構成です。手術やADLに介助を要する方、しかもせん妄、脳の変性疾患による認知機能低下も多く、すこぶる忙しい場所です。
そんな場所で、なぜ認知症看護の道に進むことになったのか。それをお話ししたいと思います。

きっかけはある2人の患者さんでした。
脳出血により高次脳機能障害。
(今ならわかるのよね)
のある方のトイレ介助で、「トイレトイレ」と訴えるのになぜか便座に座らない…のです…
手足を思いっきり突っ張り、手摺りから手を
離さない。
何度も「トイレですよ!」と伝えても便座の前で
放尿…
便失禁…
2人かがりてトイレに連れて行っては、便器目の前に放尿する理由がわからない私は、スタッフと半ば
力ずくで便座に座らせました。
その方は座るや否や、なんとも言えない悲しそうな顔をしました。そのお顔は、今も忘れません。

もうひと方は、脳内出血の方。認知症が既往歴にあり
車椅子に座るときには、いつもベルトをつけていました。車椅子ごと転倒してからは、ベットに入ることが多くなり、誤嚥性肺炎を繰り返し胃管からの栄養になると
抑制してる時間が増え、昼夜問わず叫ぶようになりました。看護師が近づくだけでも叫ぶようになり、検温することさえもままならなくなりました。

この人はどうして叫ぶのか…
先輩に聞いても、「認知症だからね。」
                   「どうしてあげたらいいんだろうね」
明確な答えは出ませんでした。

ある夜勤明けの朝。
検温に向かうと、その患者さんが抑制を外して
胃管を抜いているではありませんか!
私「〇〇さん!ぬいたらだめですよ!」
と近づく私に
「ゔゔゔゔゔゔオオオオオ➖➖!💢」

と殴りかかってきました。
腕を掴まれ、噛みつかれ、唾を吐かれ、頭を叩かれ
私は何かが崩れ落ちる音を聞いた気がします。

拳を握り、頭の中にその方に、やり返している絵が浮かびました。
それと同時になぜか悲しくなり、泣きながらナースコールを押し助けを呼びました。

患者さんは、私に暴力を働いたという理由で
抑制が増え、抗精神病薬の投与が開始されると
起きることも少なくなり、そのまま転院しました。

その日の帰り道
なんでこんな思いをしなければならないのか。
一瞬でも拳を握ってしまった自分。
一瞬でも患者さんを心底憎いと思った自分。
そんな自分のことも許せず
何も出来ない自分も許せず
泣きながら帰宅しました。退職もこの時期
考えました。

出勤するたびに、抑制まみれでどんどん
その人らしさのなくなる患者を見ては
見て見ぬふりをしました。

転院後まもなく
娘さんが挨拶をしに来てくれました。
そして聞いたのです。
亡くなったと。

私は
このままではいけない。
私が、関わることで人1人の人生が変わって
しまった。
あの時、もっとできることはなかったか。
そう考えるようになりました。

まずは認知症について知ろう。と一念発起し
認知症指導管理士の資格を取るために本を
読みました。
せん妄、BPSDについて知り
なんて無知なまま認知症を口にしていたのかを
思い知りました。

その人がその人らしくいられるための看護。
それが認知症看護なのだと気づかせてくれた大切なお2人。自分の看護観を見出す上でのきっかけです。

そこからは、認知症認定看護師に向かうまで
まあ、いろいろあるわけですが、それはまた別の
機会に。








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