自己紹介と記憶の引き出し
自己紹介が苦手だ。
はじめましての人にたいして、どこまで伝えれば丁度いいのかが、いまだにわからない。
今日も、来週お世話になるチーム宛に自己紹介文を書いたが、たったの1000字くらいに4時間かかった。
その文章を書きながら、自己紹介っていうのはこれまで増やしてきた記憶の引き出しの開け閉めの調整が肝心だと思った。
たとえば、いまこの文章は地元に帰る電車内、スマホで文字を打ち込んでいる。足元に目を移すと、かっこちょいい帽子を被ったお金持ちそうな男性にくつひもが踏まれて、ほどけてしまっている。
こんな数分間の出来事であっても、経験したこととして、記憶の引き出しに納められていっていて、引き出しを開けるか閉めたままなのかは私次第。
たぶん、この文章を見返さない限りこの引き出しは閉まったまんま、思い出されないし、他人に話すこともない。
自己紹介で語ることといえば、趣味、特技、好きなこと嫌いなこと、好きな本、誕生日、出身地などやろうか。
自己紹介とは
自己紹介(じこしょうかい)とは、初めて会う人などに、姓名・職業などを述べ自分が何者であるかを説明すること。普通は“よろしく”という挨拶の意を兼ねる。その方法は大勢の前での口頭によるもの、名刺を差し出して行うもの、電話で自分の所属・地位・名前を述べるものなど様々である。
Wikipedia から引用
一言でいうと、自己紹介=「自分のことを知らない人にたいして、自分で自分の経歴などを伝えること」である。
ここの”自分で”というのが厄介で。
これまで自分が経験し、感じてきたこと、そうであると評価されてきた記憶を頼りに、自分の経歴を編みなおす必要がある。
思うに、記憶の引き出しは、二段階構造の倉庫に収納されている。
まずは、優先度が高いなんども使う記憶。
私の名前とか、住所とか、繰り返し取り出されるからサッと取れる場所に格納されている。
コンサートでいうS席、アリーナ席みたいなイメージです。
そして、優先度が低い記憶。
または思い出したくない記憶も含まれるかも。
小さい頃の遠い記憶だとか、「あれなんだっけな~」っていう記憶は、取り出しにくい奥へ奥へと場所が変わって収納されていく。
よくカウンセリングで過去の記憶と向き合うとき、”ダイブ”するって言うけど(いうかな?)絵にするとこんなイメージ。
つまり。記憶は忘れてるんじゃなくてあるのはあるんだけど、取り出しやすいか取り出しにくいかで覚えてる、覚えてないが決まってくる。
ここで自己紹介に戻ろう。
「これまで何をしてきて、わたしはこんな人間です」と伝えるには、記憶の引き出しを開けて、2つのカテゴリ分けをして、ひとつの文章に統合する必要がある。
①純粋な記憶
何に感動したとか、こんな場所いったとか、こな評価を受けてきたとか、外部から受けた刺激や言葉、経験、事実。
四年間接客のアルバイトをしていた
夕方の空が綺麗だった
おばあちゃんに笑顔が素敵ねと誉められた
など。
②創作した記憶
純粋な記憶をもとに、自分がそこから分析や理解をして立てた仮説や解釈。
四年間接客のアルバイトをしてきたので、わたしは人見知りはしない性格だ。
夕方の空が綺麗だったので明日も晴れるであろう。
おばあちゃんに笑顔が素敵ねと誉められたので、私の強みは笑顔だ。
など。
これら2つの記憶を引き出しから集め、並べ、取捨選択していく。
引き出しを開けすぎると、要素が多すぎてどんな人であるかの印象がぼやけてしまうし、
少なすぎてもとっつきにくい。
記憶をいちど引き出すと、自分が意図しなかった引き出しも開いてしまったりして。
今日の4時間の作業時間でも旅行について書こうとしたら、もう忘れかけていたゲストハウスで変な人に絡まれた記憶であるとか、旅先で見た歩くとついてくる満点の星空の記憶が出てきて、もう一度訪れたい場所ベストスリーのメモを別に用意した。
記憶をうまく編集し、自分が何者であるかを上手に伝える自己紹介の達人は、記憶の引き出し方も違うんだろうか。
なんとか20代のうちに、自己紹介への苦手意識をなくしていきたい。
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