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「アイデア~春の台所」【詩】

あなたの文字でいっぱいのノートには
青春の
歌にならなかった時間たち
刃みたいな春がやってきた朝、
ぼくらの新居は築二十年のアパートで
顔のない子持ちの夫婦が隣に住む
引越しはようやくいち段落つきました。
波打ち際にひとつの歌が落ちていた
この部屋からも海が見えます。
ノートにはさまざまな色の船が停泊していて
港はずっと冬の朝
そこには海より永い時間がある。
確信をこめた文字たちのレインダンスは
古くさくてとても見てられません。
ぼくらの健気な潮騒を
鳴らしつづけたのはほかでもない
この部屋を見つけたときに それは青い天啓のように
新しい春を予感した。
さまざまな贈り物たちが
まぶしく 痛いこの台所で
やがて古びた傷口には
アイデアを塗りこめ。
この生活の細部への
慈愛に満ちたアイデアを
それはときどき とてもしみますが
ノートに書かれた あなたを救いだす言葉のどれが
ほんとうにあなたを救いましたか。
互いの鼓動に耳を澄ませば
時間は動きだすのだから
どんな言葉にもならぬ言葉の泡が
いじけた顔して待機していたとしても。
潮騒
って、すてきな言葉だと思わない?
待機
よりは少なくとも
ねえ、そんなことより、これ、見てよ。
それは古ぼけた海の家で
生まれてまもない少女のあなたが
あどけなく笑っていたという
やらかな時が波打つ物語
けさも台所は
アイデアでいっぱいです。

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