静御前の「鼓渕」〜『長尾町史』から
地元の市役所で、ちょっとした買い物をした。改訂版の『長尾町史』だ。香川県の、私のふるさとの町の史書である。小さい町だが、本の厚みはそれなりにある。背表紙の『長尾町史』という文字は金色で、なかなかに風格がある。
2002年に「さぬき市」に合併された「長尾」は、いまでは駅や小学校にその名を残しているばかりだ。「長い尾のような」といわれた町のかたちや、その名前の由来も、若い世代の市民には忘れられつつある。
名もない町の、語られる機会の少ない歴史を探るのが私は好きだ。それに長尾は、私のただ一つの故郷である。さっそく私は夢中になって本のページを繰った。途中、ある一枚のモノクロ写真を見つけ、手を止めた。
「鼓渕」の、石碑の写真である。
鼓渕とは、私の生家の近くにある、長尾では有名な旧跡の名だ。
源義経との離別のあと、悲しみに暮れる静御前が、義経を忘れるため、形見としてもらった鼓を投げ捨てたという伝説の残る場所。そこはかつて、清水の湧く泉だった。
私は小学校の頃、夏休みの自由研究で、鼓渕と静御前にまつわる伝承を調査した。当時の書物から、静御前について知ることができるのは、鎌倉で義経の子を出産するまでの半生の歩みにとどまる。
長尾に「伝承」として伝わる、義経との別れのあと、長尾寺にて得度を得た静御前の晩年の生きざまは、一人の女性の人生の陰影をうつしだした魅力的なストーリーとして、少年の私の心をひきつけた。
しかしいま、私の鼓渕の碑をまなざす目は少し複雑な色を帯びる。
石碑のほぼ真下を流れていた排水溝には蓋がされ、周囲には新しい民家が建った。碑の背後に開けていた田園風景は、新興の住宅街に姿を変えつつある。『町史』には、「道路改修によって現状が変更され」、「石碑によって、その面影を偲ぶ」ことができる旧跡と、鼓渕は紹介されている。
町が姿を変えてゆくことを、私は悲観するつもりはない。
しかし私は思いだすのだ。遠い少年の日に、生涯叶わぬ恋に焦がれた静御前の姿を思いえがきながら、義経に憤ったことを。『愛しているなら、なんでもう一度、会ってあげないんだろう!』と……
愛する人に会いたくても会えない、義経側の「大人の事情」も、それなりに理解できる歳にはなったが、鼓渕の跡に流れつづける、一人の女性の孤独と悲しみへの想像力が、いまも私の目をふるさとの歴史の彼方へと向けさせる。
(終わり)
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