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【深く考える・深く感じる】

昨日あるユダヤ人の方がお話しされていました。
日本の子供教育で一番欠けているものが何か。
つまり一番大切なことは何か、という話題です。
 
それは…
親子で話し合うこと
だそうです。
 
するとリスナーの日本人の方から
『そうですか!ならばたくさん会話しますね!』と
お返事が来たのですが、それに対してユダヤ人が
「違う!そうじゃない!」と鋭く言われました。
 
必要なのは会話ではなく【議論】だ!
 つまりディベートだ!!!
 例えば明日が休みだとする。
 子供が幼稚園生だとする。
 
 親から質問を投げかけ、議論をするのだ。
 “明日は動物園に行くか水族館に行くか?“
 “なぜ動物園なのか?その理由は何か?“
 “水族館でも良いのではないか?理由は何か?“
 “他の選択肢があっても良いのではないか?“
 
 こうやって、
 ・選択した理由と他人への説明力
 ・論理的な思考力と洞察力

 これを幼い頃から養っているのがユダヤ人だ。

 ところが日本の受験教育では「暗記」のみが
 求められる。これだけITとネットが発展して
 記憶ではコンピューターに勝てないのに
 相変わらず「暗記力」を求める日本の教育は
 時代にマッチしていないし、人間の考える力を
 削いでいる。だから日本人が海外で勝てない。」
 
と言われていました。
私は子供と議論するという発想が少なかったので
なるほどと思いました。
 
他方で…
 
「考える」つまり思考を鍛えることと同時に
「感じる」つまり感性を鍛えることを同時に
する必要があるとも思いました。

 
言語化しにくい感覚を感じ取ること。
五感を精緻に感じ取ること。
ヤマ勘と直観の差異を体感していること。
自他、内外、陰陽、天地、男女、それぞれの
違いを感覚でも分かること。
自分の内側を見る内観力を磨くこと。
相手を慮る客観力と感受性を磨くこと。
 
これらを総じて「感じる」と述べていますが
日本人は元来、この「感じる力」が異常に
高かったはずです。
 
「以心伝心」や「審美眼」、「精神性」、
「アミニズム(自然崇拝)」など、日本人は
ユダヤ人の対局の「感じる力」に長けていた
はずなのです。
 
どちらも大事。
その上でまず日本人が得意であり、ITが
追いつけない「感性・感覚」の教育が必要だと
改めて思いました。
 
教育、というよりは「共育」ですね。
親子ともに共感し合う、共鳴し合う、
共振し合う、その喜びを分かち合う、
絆が深まる、という「共育」です。
 
思考の世界は行き着くところが「正否」。
感性の世界は行き着くところが「深さ」。
どちらも尊く必要なはずです。
 
感性を研ぎ澄ませる「問い」があるはずです。
“何が面白かった?どんな感じだった?”
“それは何かに似てる?違う?“
“例えるなら何?どの辺が近い?“
“閃いたのはどこから来てるだろうね?“
“その感じ方面白いね!素敵だと思うよ?”
 
かつては月光を見て「美しいなぁ」と
ハラハラと涙を流した日本人は、
思考と感性を調和させられるはずですし、
それがこれからの時代日本人が世界で
ますます必要とされる【特長】でしょう。
 
目の前のことを深く感じ取ってみましょう。
目の前のことを深く考えてみましょう。
それらを合わせてみましょう。
今までと全く違う、
彩のある景色が見えるかもしれませんよ。
 
 
 
◎今日のひとこと◎
 
「正否は正確性と共に副作用で対立生みます。
 深さは共感と共に副作用で曖昧さを生みます。
 どちらも長所を生かし合えば補い合い、
 より良い調和した世界をまず自分自身から
 生み出していきましょう」
 
    中本 明宏(輝きクリエイター)

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