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足るを知り、活かすを志す

「勝ちには偶然の勝ちがあり、
 負けには偶然の負けはない」という言葉は
江戸時代の剣豪、松浦静山の言葉なのだそうです。
 
つまり「勝つ時は偶然が左右するものだが
失敗は失敗の原因が必然として在る」という
人の傲慢・怠惰への戒めの言葉でしょう。
 
では物事の成否は本当に偶然なのか。
もし“必然”の何かがあるとすれば
それは一体何なのか。何が決めるか。

 
皆さんの成功体験を思い起こしてみてください。
上手く行った時を遡ってみると、もしかすると
こういうことがあったのでは無いでしょうか?
 
それはー
【上手くいくことしかイメージ出来ていない時】。
 
これは我欲や思い込み、強い願望のような
「無理な力」ではなく、そうなるとしか思えない、
「自然な流れ」を確信していた時。
結果として夢中で物事が終わり、想像を超えた
成果をもたらしていた、と。
 
ではこの「確信」はどこから来たのでしょうか?
成功した時から逆算してみました。
 
1.行動レベル
 ・氣がついたら終わっていた
 ・全精力を出し切った
 ・心の底から想いをぶつけた
 ・練習以上の技術を実践出来た

2.計画レベル
 ・成功から逆算した
 ・誰にとっての成功か明確化した
 ・前もって先取りして進めた
 ・自分以外の多くの人の意見を求めた
 ・相手(仲間や顧客)の良きことを願った

実は「確信の核心」はこれ以前にある氣がするのです。
 
 
3.無意識レベル
 ・すべきかどうかではなくそうしたかった
 ・勝負、正否、評価ではなくそれが「快」だった
 ・上手くいく方法しか興味がなかった
 ・心静かに集中出来ていた
 ・やることはやるとしか思っていなかった
 ・良き未来だけ意識を置いていた

 
 
つまり物事の成否は「想像力=創造力」が支配して
いるのではないかと。
 
そして「創造力」がフルに発揮されるには
「己への完全承認」が出来ていた上で、それ自体を
手放している状態ではないかと思うのです。

 
そこには不安・恐れ・疑い・リスクといった
「上手くいかないかもしれない想像」は
事実や実態としての想定はあったにせよ、
感情や憶測という「己に負けている精神」は
無かったのではありませんか?
 
つまり「成功の要因」とは
①練習や試験などのテストを経た確かな「技術」
②極限まで錬磨された「計画」
③成功のみ信じ切った「想像=創造」

 
④そしてそれが出来る強くしなやかな
「自己一致」が潜んでいる氣がしてならないのです。

 
 
私は人様の前でプレゼンテーションをする時は
失敗したらどうしよう、とは微塵も思いません。
それよりも圧倒的に興味関心があるのは
「どうやったら聴衆を驚かせられるか」
「前回の自分超えは何がきっかけか」
「喜び?楽しみ?役立ち?何が欲しがられるか」
それしか意識を置いていません。
それを思い出しました。
 
その時にのみ「信念という確信」が生まれます。
それしか想っていない、描いていない状態です。 
そこに至るにはまず「等身大の己を認めている
というあり方からしか生まれないと氣づいたのです。
自己否定、自己嫌悪、自己憐憫からは
成功・勝利・感動・喝采・感涙は生まれないのです。
 
ならばこそ、「等身大の己を認めている」のは
等身大の己を分かっている」ことからでないと
スタート出来ません。
 
ところが人は「自己分析には色が混じる」のです。
完全に客観的に自分を観ることは出来ないのです。
どうしても期待や願望という過大評価、または
拒絶や恐れという過小評価が入り込むのです。
 
では一体どうしたら自分自身で納得承認できる
「等身大の己を分かっている」状態に成れるのか?
 
そこにこそ私の存在価値があります。
【的確で温かな心理分析】をさせていただく。
【深く温かい聞法】で繊細に本音本心を明らかにする。
【本質の一点突破】を共創(クリエイト)する。

 
仕事で大成功を成し遂げたい!
事業を大成功させたい!
自分の人生を誇りと感謝で生き抜きたい!
そういう方はご一報ください。
 
あなた以上にあなたの真価を信じ切り、
どんな場面でも命懸けレベルで伴走し、
出来うる全ての可能性を燃やし尽くす。
 
まずは心理分析から。
お一人でも、チームでも、お会社でも。
あなたの想像の次元を超える成果を呼びます。
自分を知り、分かると、対策が打てます。
対策の結果、強くなります。優しくなります。
自尊心に裏付けされると、創造力が上がります。
結果、次のステージに行けるのです✨
 
それはそれは、自分も人様も責めない、
良きことだけひたすら惹かれ、追える、
嬉しくも幸せな世界でした。

 
 

◎今日のひとこと◎
 
『術前に悩むも術中に迷うことなく、
 観にて六分、
 見にて四分に見極め、
 手自由にして手に道具あるを忘れ、
 道具手にあるを知らず、
 心恒にして独坐大雄峰也』
 
  佐野公俊(明徳会総合新川橋病院副院長)
 

※独坐大雄峰
 …今ここで座って息をしている
  これ以上のことはないと氣づくこと

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