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「旅」をする本に出会った。

尊敬するファシリテーター青木将幸さん(マーキーさん)から献本を頂いたこちらの本。まあ、いい本なんですよ。
教育の本って、「やり方」とか「生き方」を書いたものは多いのだけれど、この本のように、「あり方」にとこのとんまで付き合った本って、わたしはあまり知らない。以下に感想を書くけれど、まずは読んでほしいというのが正直なところ。というか、正直言って、書きたいことがとっ散らかリ過ぎていて何から書くか、何を書けるか…という感じである。

本はこちら

マーキーさんの書評はこちらから。

わたしはどう読んだのか

この本を一言で表すとすれば、「他の人の生き方を追体験する…」という言葉もあるだろうが、「旅する」という言葉が似合うと私は思った。

この本には、筆者一人ひとりの「あり方」ももちろん描かれているが、その人が「あり方」というものをどう考えたのかということも紙幅をとって描かれる。ある人は、「教員の数だけ『ビーイング』がある」といい、またある人は「現在抱いている教師の『あり方』のモチーフが私の人生の中の出来事と直接的あるいは間接的に紐づいていそうだということを確認することができ」たという。
自分をふりかえって、そのふりかえりをまたふりかえる。そんな入れ子の構造がこの本を面白くしているし、わたしには旅行記に思えたのだ。

あり方を書くということ

そもそも、「あり方」について問うことは、けっこうたいへん…というよりは、しんどい作業であると私は思う。そこには、いろんな挫折があり、転機があり、決断がある。その一つ一つに触れ、胸を打たれ、泣けてくる(相変わらず涙もろい。危なくスタバでなくとこだった。)

あり方は、人の気持ちに直接訴えかける力があると私は思う。
田中将省先生の「吃音を抱える教師として」は、心から触れられてよかったと思った文章である(P098)。「どう在りたいか」考えるから、「わたし」と「吃音」の関係性が変わっていく。ともに生きていく姿がほんとうにすてきだと感じた。吃音についてカミングアウトしたシーン、淡々と描かれているが、相当の葛藤があったのだろうと思う。本には、そこを乗り越えた未来が描かれるけれど、実際は「いま」しかそこにはないのだから…。

そう考えると「あり方」って、「いま」の自分に直接的に影響してくるよなーと思う。(感想1)

わたしのあり方を考えること

この本を読んでいると、ページをめくるたびに「じゃあ、あなたの『あり方』はどんなん?」と訊かれている気持ちになる。
そして、「わたしはどう在りたいか?」と考えたくなる。

青柳圭子先生の「子どもの学びを支える、私たちの『ビーイング』」(P010 )、これはこの本最初の寄稿文なのだが、最初の一段落で青柳先生の世界にすっと引き込まれる。(めっちゃ引用したいけれども、ページをめくってほしいので引用しない)
「生きる」「学ぶ」がどの距離にあるのか。「近い」というけど、それはどういう類の近さなのか、思考の海にどっぷり沈んで考えることのできる、そんな文章だった。

あこがれから生まれる「わたし」

これは持論なのだけれど、「あり方」って「あこがれ」に相当影響される。
「あこがれ」があるからがんばろうと思えるし、「あこがれ」る対象があるからこそ、目指すものを意識して前に進むことができる。
教職について、20年を超え、そろそろ「先生になる前のわたし」だった年数と「先生になってからのわたし」だった年数が同じくなろうとしている。あのころ描いた「あこがれ」に追いついたとはまだ思わないけれども、歳を重ねながら、より厚く、「わたし」の層をつくっていきたいと思った。

(めっちゃふわふわな文章で1500字書ききってしまった…。)

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